レビュー

編集だよりー 2010年6月5日編集だより

2010.06.05

小岩井忠道

 水戸光圀が隠居して「大日本史」の編纂に専念した地、常陸太田市で地元劇団「劇工房橋の会」の公演「からゆきさん」(作・宮本研、演出・木村夫伎子)を観てきた。劇団の主宰者は、東京での新劇女優の活動を経て郷里に戻り、演劇活動を続ける木村夫伎子さんで、木村さん以外の団員は皆、アマチュアだ。

 公演を観るのは初めてだったが、劇団の存在は数年前から知っていた。昨年は米映画「十二人の怒れる男」を潤色した裁判劇「裁きの庭」、その前の年は冤(えん)罪事件として有名な「徳島ラジオ商殺し」を題材にした「証人の椅子」と、社会の動きに敏感な演劇活動を続けている。隣接する東海村で1999年に2人の死者を出した原子力事故「JC0臨界事故」が起きた後には、原子力災害をテーマにした劇も上演した。

 1957年公開の「十二人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督、ヘンリー・フォンダ主演)をわざわざ日本に舞台を置き換えて上演したのは、裁判員制度が日本でも始まるのに合わせたに違いない。今回も、アジアとの共存、共栄を図らないと日本の将来はないという木村さんの強い思いが、演目選定の根底にあったのではないかと思われる。公演に先立ち劇団員数人と、「からゆきさん」の墓参りと衣装などの仕入れを兼ねて劇の舞台であるシンガポールを訪れてきた、というから頭が下がる。

 なぜ、この劇団のことを知ったかを書くのが後回しになったが、毎回、重要な役を任されている“女優”の一人が、編集者の中学時代の同級生なのだ。日本原子力研究開発機構・那珂核融合研究所のそばでレストランを開いている。さらに加えて、数年前に俳優としてスカウトされた新聞配達店主が、大学時代、編集者が世話になった財団法人水戸育英会の寄宿舎で6年後輩にあたるというつながりもある。「新しく団員になった販売店主がいる」。レストランの女主人である同級生に聞き、「それって、立川氏じゃない?」となった次第だ。

 50代半ばをすぎて新劇の舞台に立つというのが面白くないはずはない。立川氏とは育英会同窓生の集まりで一度、顔を合わしただけだったが、昨年、編集者が編集長をやらされている水戸育英会の機関誌に早速、寄稿してもらった。

 会場に着いて、プログラムを見て驚く。なんと2回の舞台経験しかないはずの立川氏が主役に抜擢されているではないか。日露戦争を挟む当時の日本社会の変動に翻弄(ほんろう)されるシンガポールの娼(しょう)館の主人役である。郷里の小学校に寄付をしてありがたがられる羽振りのよい時から、最後に木村夫伎子さん演じる妻にまで捨てられてしまう。花も嵐もある、それも教科書にも載っていないような時代の特異な職業人を演じ分けるのだ。並大抵の才能と努力でできる話ではない。

 多少心配しながら観始めたのだが、途中からは感心するばかりであった。本人も偉いけれど、立川氏に俳優としての資質があるのを見抜いた木村さんの眼力の素晴らしさにも感心する。もっとも、立川氏に書いてもらった原稿「演劇初舞台奮闘記」(水戸塾友会会報「塾友」第31号、2009年12月31日発行)には、次のようなくだりもあったが。

 「木村さんの後日談だが、『最初のけいこでの発声を聞いて、誘ったことを夜眠れぬほど後悔した』そうである」

 木村さんが後悔した理由は、立川氏が東京で大学生活を送った後、すぐに郷里へ戻ったため茨城なまりがどうにもならないくらい身についてしまっていたから、ということらしい。それならそれで、わずか2回の公演を経験させる間にすっかり鍛え直してしまった木村さんの指導力もまた大変なもの、というべきなのだろう。

 幕が下り、ロビーで出演者たちとあいさつをかわしていたら何と編集者が昔いた通信社の水戸支局員(若い女性記者)が取材に来ていた。最近の後輩たちは昔とはだいぶ違うのにも感心する。支局長がカメラマンを兼ねて同行していた。これくらい丁寧に面倒を見られたならこの若い女性記者もすなおに成長するだろう。後輩とは一緒に飲むくらいしか触れ合いのなかった記者時代を反省する。

 やろうと思ってもできそうもない。いややってみようという気すら起きない職種はいくらでもあるが、俳優というのは考えるだけで恐ろしい職業だと思う。「麻薬のようなものなのよ」。後輩の取材に答える木村さんの声が聞こえてくる。一度舞台に立たせてみると病みつきになる人間が多いから、アマチュアばかり集めた劇団もやっていける、というようなことを話していたのだろうか。

 ホールの近くでのどを潤しながら思った。プロの劇団にはないものが、あるいは「劇工房橋の会」にはあるのかもしれない。それは演技以前の俳優の持つ雰囲気といったものだろうか。黒澤明監督は日米合作の「トラ、トラ、トラ」で失敗したが、俳優に素人を使うことの利点である。立川氏が見事だったのは、演技しているという感じを見せていなかったからのように思えるし、他の出演者たちも皆役にピッタリはまっているという感じなのだ。

 男の出演者は市役所の課長さんや商店主などだという。こうした人たちがかえって、職業俳優にはなかなか出せない雰囲気を自然に醸し出していた、ということだろうか。

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