「背中まるめてサンダルはいて…」。昔よく聴いたフォークソングの1節が、最近よく思い浮かぶ。かぐや姫の「赤ちょうちん」(喜多条忠作詞、南こうせつ作曲)だ。曲の入ったアルバムを出したらすぐ映画化されたというから、藤田敏八監督、秋吉久美子主演の映画も、最後に流れる歌と作品の内容が実にピッタリで、よかった。通信社支局時代の1974年、京都・新京極の映画館で、確かロマンポルノだろうと早とちりして観たような気がする。
なぜ、最近、思い出しているかと言えば、仕事中に時々、意識して背筋を伸ばす動作をしているため、そのたびに「赤ちょうちん」の歌詞と旋律が浮かぶ、というわけだ。映画で「背中まるめて…」と歌われた主人公は今でいうフリーターだろう。別れた元恋人に「また屋台で一人飲んでいるのかしら。赤ちょうちんがともる…」と想像されるいい役だ。背中まるめて、ということに関しては編集者も同じ。ただし、こちらは毎日、パソコンに向かってキーをたたき続けていた結果、いつの間にか、である。
2カ月近く前から、明け方に胸、そのうち背中が痛み出し、寝返りを打つにも難儀するようになった。初めての体験だ。そのうち明け方どころか深夜から眠っていられない事態に陥り、ついに職場近くのクリニックに助けを求める。尿、血液、心電図検査から胸、腰、背骨のレントゲン検査、CT(コンピューター断層撮影)などをやっても原因が分からない。困った医師が同僚に回してくれたが、同じように首をひねるばかりだ。ここに至り、これ以上無駄な医療費を使うのも、と思い医師に言ってみた。
「原因は当方の運動不足だと思う。数年前まで毎日曜日にテニスをしていたのが、急にやらなくなったので体に不自然なひずみが蓄積したせいでは」
「消化器系の検査はしていないので、そう決めつけるのは早い。循環器系に問題ないのは確かとはいえ」。医師にたしなめられたが、妙にわが“診断”には自信が持てる。以降、自力更生を図ることにした。
まず、朝起きたときに習慣にしているストレッチ体操をおざなりではなく、体が痛くなるまでやること。週末は、できるだけ歩く。例えば区の図書館に寄った帰りは、自宅とは方向違いの商店街まで大きく遠回りするコースをとることにする。また、最近、昼食を摂らないのが普通だった。ろくに体も動かしていないのに、この年齢で3食は不要という考えからだが、これも改めることにした。食べても食べなくてもよいから、とにかく外に出ることだけはする、と。
これらの効果かどうかは知らないが、最近、ようやく夜中に寝床の中でうなるような目には遭わずに済むようになっている。そのうち、願ってもない誘いを受けた。今の職場にテニスサークルがあり、そのメンバーである同じ職場の同僚から「一緒にどうですか」と声をかけてもらったのだ。
ということで、この日、板橋区の高島平団地の一画にある立派な運動公園に出かけ、久しぶりにラケットを握ることができた。ボレーに絶好の球が来たので思い切り振ったら、空振り! こんなこともあったが、久しぶりということで許すことにしよう。
人間は体全体を動かしているのが最も快適。続いてのど(飲食、歌唱)と来て、頭だけ使うのが一番、面白くない行動といえる—。幸い足をもつれさせることもなくボールを追いながら、わが貧弱な経験に基づく人生訓を、あらためて再確認する。
いつも使っていたコートがつぶされてしまい、毎週、テニスができなくなったのは何年前だったろうか。思い出すため過去の編集だよりを読み返してみたら、少なくとも3年前の今ごろまではやっていたことを示す記事が見つかった(2007年4月1日編集だより参照)。そこに科学を題材とした現代短歌を選んだ著書「31文字のなかの科学」で科学ジャーナリスト賞を受賞したばかりの松村由利子さん(元毎日新聞科学記者)の歌が引用されていた。
「大きなる鍋の一つか会社とは煮崩れぬよう背筋を伸ばす」