月曜日だったが郷土愛を優先、休みを取った。茨城県人会連合会の視察旅行に参加するためだ。ひたちなか港も、今秋公開予定の映画「桜田門外ノ変」の大オープンセットも初めてだが、お目当ては11日に開港したばかりの茨城空港である。
定期路線はソウル(仁川)との往復1便(アシアナ航空)と4月16日に就航する神戸との往復1便(スカイマーク)だけ。新聞、テレビで手厳しい報道がなされなかったとしたら、そっちの方がおかしい。だが、一行は茨城出身者ばかりである。不特定多数派と受け止め方は無論違う。「いろいろ批判されているが、無関心よりよほどよい」。海老沢勝二・茨城県人会連合会会長(元NHK会長)のあいさつにも、バスの中は暖かい笑い声がわく。
橋本昌茨城県知事は、17年前、突然、知事選に担ぎ出されるまで自治省課長だった。当然、国の支援が、という気持ちのようだ。そのような発言が新聞紙面で報じられている。しかし、前原国土交通相は「地元が努力を」ということらしい。
「前原大臣から冷たいことを言われているようだが」。県の空港対策課長に尋ねてみた。「あそこまで言われると意地でも航空機を呼んでこないと、という気になります」。聞けば国土交通省からの出向という。その心意気に打たれる。
この空港の最もよいところは、過剰設備がほとんどない、ということではないだろうか。空港ビルは2階建てだが、乗客は自分の車で来た場合、無料の駐車場に止めて、目の前の空港ビルに入る。1階カウンターで搭乗手続きを済ませると、すぐわきの搭乗口から出て空港ビルの中庭のようなところに駐機している航空機まで歩いて行き、タラップを上って機内に入る。車から出て機内まで、駐車場所が空港ビルに最も近ければ百メートルちょっと歩くだけで済む。
ちなみに駐車場をつくるのに国から助成を受けると有料化を義務づけられる。だから、県の金で駐車場をつくり無料にしたそうだ。出所は結局、県民の税金とはいえ、利用者にはやさしい措置と言えよう。
2階の送迎デッキでソウル発便の到着を待つ間に、社会人になったばかりのころの記憶がよみがえってきた。同じ年に通信社に入社した同期の人間が札幌支社赴任となり、羽田空港まで見送りに行ったことがある。当時の羽田空港が茨城空港と似たようなものだった。航空機に歩いて向かう同期生を送迎デッキから見送れたのだ。
昔と同じ気分が味わえるのも、ボーディングブリッジ(搭乗橋)なる金のかかる設備がなく、乗客がタラップまで歩いていくためである。「車いすの人はどうするのか」。長年の記者生活で染みこんだ癖が出て空港対策課長に質問した。無論、こちらも用意はできている。昇降設備を持つ特別車が待機しているのだ。特注品ということだが、ボーディングブリッジを備えていないための余分な出費、という批判は当たらない。ボーディングブリッジを備えた空港でもタラップは必要だからだ。確かに首相や外国要人の出発・到着時には、首相夫妻や要人たちはタラップを上り下りしている。そうしてもらわないと、見送り、出迎えの儀式も様にならないし、新聞社もテレビ局もそれらしい写真、映像が撮れず困ってしまうだろう。昇降機能付き特注車両も決して過大な出費とはいえない、ということだ。
空港は航空自衛隊百里基地との共用空港で、設置者は防衛大臣である。空港ビルから遠い方の滑走路が航空自衛隊の優先使用となっており、手前の新しく造られた滑走路が民用優先となっている。ソウルからの到着便を待つ間に、ファントム戦闘機が爆音を響かせ飛び立っていった。これもまた、共用空港ならではの光景だろう。
2月に水戸で講演をした中条潮・慶應義塾大学教授は、茨城空港も地元の努力次第で活路は開けるという話をしたそうだ。ほかの国内空港の方が世界標準から見れば20年遅れているという。例えば、ドイツのハーン空港は、フランクフルトの市内から110キロも離れており、茨城空港より位置的には不利な条件下にある。しかし、扱う客は年間380万人。ここまで発展させたのは、アイルランドのLCC(低コスト航空会社)だそうだ。
利用客に親しみを持たれ、使いやすく、一見さん(チャーター便)も暖かく迎へ入れる。それが茨城空港の生きる道ではないか。当事者は先刻、承知と思われるが…。
平日だというのに大勢の見学客が、送迎デッキから到着客を出迎える。そんな風景の中に身を置きながら思った。