読売新聞朝刊「時代の証言者」欄にテレビドラマ作家、山田太一氏が登場している。今朝の朝刊に出てくる話が興味深い。山田氏が松竹大船撮影所で助監督として活動していたころのことだ。
助監督といっても数人いる一番下の役で、篠田正浩監督の下で「夕陽に赤い俺の顔」という作品を撮影中だった。この作品の脚本が寺山修司氏(故人)で、寺山氏と山田氏は早稲田大学の同級生同士。何日前に2人の大学時代の親しい関係を読んだばかりなので、この日書かれていたエピソードは意外だった。
ロケがあった横浜の団地で集会所に待機していた俳優を呼びに行ったところ寺山氏がストーブにあたっていたという。山田氏は一番下の助監督という立場もあり「よう」と気安く声がかけづらく、寺山氏も「『お前はこんなことをしているのか』と当惑したような顔で、言葉は交わさなかった」というのだ。さらにこんな記述が続く。「『人間はこういうふうに差がつくのか』と思いました」
文学青年時代を共有した親友同士の思わぬ再会の場面としては、分かるような気がしないでもないが、何か奇妙な感じがする。寺山氏について書かれた記事は何度も目にしたことがある。フジテレビ系列の競馬中継に時々ゲストとして出ていたが、意外な馬に愛着を示すなど独特の味があった。権威主義などとは対極にいる人物という印象をずっと持っている。だから、山田氏の記事が気になったということだろう。
そういえば、寺山氏が売れっ子になり、ホテルに缶詰になって原稿を書かされたことを自慢げに話した、ということをだれかが書いていたのを思い出した。その時も似たような感じを抱いたなあ、と。
締め切りに追われた作家が出版社の用意したホテルに缶詰になるといった話はよく聞くが、それって自慢するような話だろうか。能力以上の仕事を引き受けたか、ぎりぎりまでさぼっていただけの話かもしれないではないか。林芙美子という作家は、気に入らない出版社の担当者に原稿をなかなか渡さないような意地悪をした、などという話を読んだ記憶がある。
一方、愉快な話を通信社の記者になりたてのころ文化部長から聞いたことがある。出版社の社員に冷たく当たることで知られる高名な時代作家の所に新人社員が約束の原稿をもらいに行ったそうだ。作家の返事は、いつものように素っ気なく「まだできていない」。作家に対する予備知識がない新人社員が「ああそうですか」と言って玄関先から引き返したところ、その作家が追いかけてきた、というのだ。
「できていない」と言われても、あれこれ作家の気に入るようなことを話し掛け「何とか○○日には原稿よろしくお願いします」と言ってその日は引き下がる。その作家を担当する出版社員たちの振る舞いだった。そうした対応に慣れきっていた作家の方があわてて「ちょっと話し相手になっていけ」と呼び戻しに来た、という話だった。
いまの作家と出版社員との関係がどうなのかは知らない。しかし、新聞や雑誌に連載して確実に読者が付くような作家は限られている、という話もだいぶ前だが、聞いたことがある。そうした状況が変わらないとすれば、出版社員が原稿取りに苦労する話は今なお、ということになりそうだが…。