レビュー

編集だよりー 2010年2月3日編集だより

2010.02.03

小岩井忠道

 アカデミー賞のノミネートが発表された。10本の中に「マイレージ・マイライフ」が入っている。ジェイソン・ライトマン監督が32歳という若さと知って驚く。

 この作品は、1月28日に日本記者クラブで試写を観たばかりだ。「アカデミー賞作品賞最有力候補」(ニューヨークポスト紙)など、パンフレットに米国メディアの褒め言葉がずらりと並んでいた。以来、考え込んだ。なぜこれほど高い評価を得たのだろうか、と。

 リストラを断行する企業から、対象社員に解雇通告する役を引き受ける。本当にそんな会社が米国に存在するのか知らないが、主人公はそうした大会社(らしい)のやり手社員である。米国中を飛び回っており、いつも使う航空会社のマイレージを1,000万マイルためるのを楽しみにしている。独身者で妹の結婚式に招かれた時に「バージンロードの父親役をやってもいいよ」と言うシーンから、この主人公が姉妹からどう見られているかが推測できる。最初に聞いた姉のとまどった表情に続き、人の良さそうな妹が困ったような顔をして、既に別の人物に依頼済みと答える。「だって、とてもよくしてもらっている人だし」などと言い訳をしながら。

 要するに主人公は定職を持ち収入も相当だが、どこかふうてんの寅さんを思わせるようなところも持つ人物でもあるということだろう。

 依頼先の企業に出かけリストラ対象の社員1人1人に雇用契約の首を告げる時の相手社員とのやりとり。これも見所の一つだが、これはおそらくこの作品の主たる見せ場ではない。今の米社会において大の男がやりうる冒険とは何か、ということを提示し、観客たちの多くの共感を呼んだ、ということではないだろうか。

 米文学には、マーク・トウェーンのハックルベリー・フィン以来、放浪を好む主人公というパターンが脈々と存在する。そんな記述を最近、どこかの新聞の書評欄で見た気がする。この主人公も独り者で、その“資格”はまずクリアということだろうか。しかし、引きこもりであっては無論、放浪者とは言えないから冒険心がないと駄目だ。

 「マイレージ・マイライフ」の主人公の冒険心は何かと考えたが、セックスしか思いつかない。わが映画鑑賞力の貧弱さをあらためて思い知る。しかし、それ以外しか浮かばないので、その線を堅持し、ここが一つの考えどころかと思い至った。

 女性が2人出てくる。1人は大学院を出たばかりで入社してきた。こちらにもリストラを通告した女性がジョークめかして言った言葉通り、橋の上から飛び降り自殺してしまうといったドラマがついている。十分に若々しい魅力を備えているのだが、やや類型的な描かれ方、という気が幾分する。主人公も先輩として面倒は見るが手は付けない。

 もう1人のやや年配の女性がさらに魅力的に描かれている。主人公と同様、各地を飛び回るビジネス・ウーマンだ。当然ながらこちらとは主人公も男女の関係になるのだが、美ぼうも知性も兼ね備えたこの女性との会話が相当、激しい。性的な台詞、それも露骨なやりとりが次々に出てくる。

 現代米国社会のハックルベリー・フィンにとっての冒険とは、結婚を伴わない(無論、買春ではない)、知性と美ぼうさらに職業能力も優れた女性との性行為でしかないのか、というのが編集者の結論だった。

 作品で最も印象に残ったシーンがある。妹の結婚式のためにこの女性を誘って帰郷し、日常生活とまるで異なる別の時間を過ごす。女性も大いに楽しむ。つかの間の非日常生活が終わり、再びリストラ通告者に戻らざるを得なくなった後で、主人公が思わぬ(しかし映画らしい)行動に出る。講演を途中ですっぽかし、女性の住む町まで聞いていた住所を頼りに会いに出かけるのだ。家を探し当てて呼び鈴を押し、彼女には会えたのだが、夫も子どももいるまともな家庭を持つ女性と初めて知る、というわけだ。

 冒険は好むが別にハックルベリー・フィンである必要はない。伝統的な米文学のヒーローの上を行く女性の存在感がひときわ印象的だった、という次第。

 小説も映画も評判が高かった「マディソン郡の橋」を思い出す。当時、どこかの新聞の論説委員だったかが書いている記事を読んで笑ったのを思い出す。よく知られているようにメリル・ストリープ演ずる女主人公は、主人公(クリント・イーストウッド)とのつかの間の恋愛を家族に一切知られずに死んでしまうわけだが、そのコラムにこうあった。

 「何も知らずに暮らしていた夫の立場はどうなる」

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