古い日本映画を見てホッとするばかりでもなあ、と銀座シアトルシネマに出かけた。評判のフランス映画「ずっとあなたを愛してるhttp://www.zutto-movie.jp/」(フィリップ・クローデル監督・脚本)が目当てだ。
2009年英国アカデミー賞の外国語映画賞を受賞、最優秀主演女優賞とオリジナル脚本賞ノにミネートされ、2009年ゴールデン・グローブ賞では最優秀主演女優賞(ドラマ部門)と外国語映画賞にノミネートされた作品である。各紙の映画評で褒められていただけのことはある、と納得する。
息子を殺した罪で15年の刑期を終えた姉とそれを迎える妹一家を軸にした作品だ。見終わって、小説と映画の違いをいろいろ考えさせられる。演出、脚本もさることながら、映画は俳優がそれらしくないとどうにもならない、ということだ。姉妹だけでなく妹の夫、義父、小さな養女さらに妹一家の親しい友人たちがそれぞれぴたっと役にはまっているのに感心する。妹は大学の教員で、出てくる主要な人物の多くも似たような雰囲気を持つ。主人公の姉も元医師だ。日本の監督が全く同じ作品を撮るとなったら、まず俳優をそろえるのに困るかも。つい余計な心配をしてしまった。
なぜ、この主人公が息子を殺さざるを得なかったのか。途中から漠然と想像したような理由ではあった。ただ、最後までそうした“謎解き”的興味はさほどたいした問題ではないという気にさせられたところが、この作品の立派なところなのだろう。姉妹が、最後に激しく感情をあらわにするところも確かにある。しかし、なぜ姉が愛する息子を殺さなければならなかったかについて過剰な説明はない。人一倍ヒューマンな人物でも状況次第では主人公のような境遇になり得る。そんな気がした。
映画を見終わった後、「支店長はなぜ死んだか」(上前淳一郎著、1982年)という本を思い出した。重度の障害を持つ幼い娘を餓死させたとして、3年の懲役(執行猶予付き)を言い渡された父親が、判決が出た日の夜に鉄道自殺してしまう。父親が逮捕されたときマスコミ報道がいかに父親の立場に思いをはせない一方的なものだったかを追跡し、痛烈に批判するノンフィクションだ。
警察官から得た情報にマスメディアがいかに引きずられてしまうか、という問題は古くて新しい。第3者の批判の多くは的を外してはいないと思うが、自分が日々、警察相手に取材している身になってみたら、おそらく問題がそれほど生やさしいものではないということが分かると思う。
相当多くの事柄について重要な情報の出所が限られてしまっている。情報を握っている機関と権力を握っている機関がほとんど同じで、ずっとその状況は変わらない。そうした時代において、権力の中から重要な情報を得ることがいかに難しいことか。同時に権力と離れたところから情報を得て、両方をはかりに掛けて真相に迫る、ということもまた。
政権交代による社会の変化を好ましいと受け止めている人々が、マスメディアの先輩たちに特に多いような気がする。こういう時代だったら自分ももっと多様な取材、報道活動ができたのではなかったか、という思いが心の底にあるからでは、という気がする。事実上権力の真ん中にいる人物に対する捜査の是非や見通しについて、元特捜検事や政治家が正反対の主張をテレビ番組でぶつけあう。こんな場面が日本でも見られるとは、編集者もちょっと前まで全く想像すらできなかった。