レビュー

編集だよりー 2009年12月15日編集だより

2009.12.15

小岩井忠道

 加藤秀俊氏が11月24日の産経新聞にパワーポイントを活用した最近の公開講座や授業を「紙芝居教育」と批判していた。編集者は半年ほど前、「プレゼンテーションツールは一切使わない」という野口悠紀雄氏の言葉を紹介したことがある(2009年6月10日編集だより参照)。高名な学者の中にも実はパワーポイント嫌いが少なくないかも、とうなずきながら加藤氏の「正論」を読んだものだ。さらに今朝の産経新聞を見たら、平山一城・論説副委員長が「せっかくの講座味気なし」という記事で「加藤氏の論旨に同感だ」と書いていた。

 最近、高校の大先輩に「お前は飲んでいるときによく居眠りをする。それでうまく疲れを解消しているに違いない」と言われた。無論、褒め言葉のわけはなく、それさえなければ酒付き合いもよいまずまずの後輩なのだが、という苦言だろう。

 思い当たることはある。シンポジウムや講演会でもしばしばうとうとしてしまうからだ。話の内容がさっぱり頭に残っていない。あるいはまだら模様だったりするから嫌でも分かる。昔は、講演などを聴いているとき別のことを考えることがよくあった。最近はそれが居眠りに代わったということだろう。この先輩とよくご一緒する浅草のバーほどではないが、パワーポイントを使う講演会やシンポジウムと夜の酒席には共通点がある。室内が、眠気を誘うのに手頃な明るさである、という。

 加藤秀俊氏がパワーポイントを批判する理由の一つに、先生と生徒との触れあいが希薄になるということが挙げられていた。パワーポイントを使って説明しながら、同時に生徒たちの挙動に十分な注意も払う。これは確かに先生にとって相当難しい作業に違いない。

 不特定多数の聴衆相手にはパワーポイントの威力は否定できないだろう。一定数の人間に分かってもらえれば目的は十分達せられるだろうから。しかし、落ちこぼれをできるだけ出さず、かつ伸びる子には相応の教育効果を求めなければならない小学校や中学校の教室には不向き。相手が大勢だろうと、すべての聴衆に自分の話を真剣に聴いてもらいたいと願う野口悠紀雄氏のような真摯な話し手にとっても同様に。

 そんな仕分けができるのではという気もするが、所詮、パワーポイントが使えない人間の世迷い言にすぎないだろうか。

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