通信社時代の友人たちと飲んで帰宅すると、日本記者クラブからの連絡メールが入っていた。会合の連絡の末尾に、かつて森繁久彌さんを招いて懇談会をしたときの速記録がホームページから読めることが付記されている。
早速クリックしてみると、やはり面白い。25年前、森繁氏が71歳の時の縦横無尽のスピーチと会員とのやりとりが記録されている。「役者はピンとキリを知っていれば真ん中は、誰でもできる」とある名優に言われたことが森繁氏の役者人生に大きな影響を与えた。翌12日の読売新聞朝刊社説で紹介されていた話も面白おかしく詳細に語られている。
この名優とは藤原釜足氏のことなのだが、この指摘はわが身に置き換えるとなるほどという気がする。音楽特にクラシックとなるとある一定水準以上になると優劣はほとんど区別できない。この欄でも何度か書いた。とにかく、ピンを知るというのは容易なことではなさそう、と自覚しているからだ。まあ、キリの方はものによっては分からないこともないか、とカラオケで人が歌うのを聞いたときなど思ったりはするが。
俳優業についてさらに興味深い話があった。新劇は「大体において観客を問題にしない」というのだ。簡単に言うと、2者の交流で始まる。恋愛も2人の間、友達同士でも2人の芝居をやっている。だから「観客は要らない」というわけだ。
無論、氏はこれではおかしいと思い「3点の芝居をしたい」と考えたという。「お前を愛しているよ」という場合は「観客を回って相手に行く」ようにする。「私はあなたに同調できないわ」というときも同様に観客を迂回(うかい)して、というわけだ。これを英文学者で演出家、評論家の福田恒存氏に言ったら「それはきみ、正しいよ」と言われたということも言い添えていた。
最後は放送などでは到底流せないような猥談(わいだん)で締めていたところも氏らしい。
森繁氏が喜劇役者から出発してシリアスな役、ミュージカルにも、と幅広い活躍をしたことは多くの人が知るところだろう。編集者にとっては、最近になってDVDで観た「警察日記」(久松静児監督、1955年)が忘れられない。同じ1955年には「夫婦善哉」(豊田四郎監督)にも出ており、映画評論家の佐藤忠男氏によると、この作品の大成功で森繁氏は無論のこと、他の喜劇俳優の活躍の場、評価も急に広く高くなったという(12日経新聞朝刊文化面)。
とはいえ、若いころの編集者にとっては森繁といえば喜劇役者、というイメージが強かった。折に触れて思い出すことがある。半世紀近く前、井上靖氏が週刊朝日に「憂愁平野」という小説を連載していたことがあった。生活に困らない中年夫妻に夫の旧友の娘が絡む三角関係は高校生にとっても胸が騒ぐ。そのうちもう一人若い男が現れてさらに事態は複雑、劇的な展開に進みそう、となれば毎週発行日が待ち通しい、というものだ。ある回などわくわくしながらページを繰ってみたら、後から現れた若い男が、女性主人公のどちらかだったかを誘って都内の銀杏の名木を見せて回る。そんな“どうでもよい”話でその回が終始してしまい、このときは作者をうらんだことを思い出す。
さて小説が評判になれば、映画化というのが当時の常識だ。そこでがっくりする。中年夫妻の妻役に山本富士子、若いヒロインに新玉三千代、若い男に仲代達矢。これは原作のイメージも損なわない納得できるキャストといえる。ところがもう一人の主役、若いヒロイン(旧友の娘)にほれられる危険でうらやましい中年男性役が、森繁久彌氏だったのだ。今考えると既に氏の芸域は相当広がっていたとはいうものの、この作品がつくられたころ(1963年)は、氏が主役の人気作品「駅前温泉」、「社長漫遊記」など駅前シリーズ、社長シリーズが毎年のように製作、公開されていた時期だ。
結局、この映画を見る気にはなれず、いまだにそのままになっている。そのうち、どこかで上映してくれたら反省しつつ注意深く観てみたい。