霧積温泉(群馬県安中市)の幾分ぬるめの湯にゆっくり浸った翌1日、鼻曲山の山頂から留夫山、一の字山の山頂を経由して軽井沢・熊野神社に至る山歩きを楽しんだ。通信社勤務時代から公私ともにお世話になっている先輩夫妻とその親しい友人、要するに熟年男女ばかりという一団である。
準備してくれた企画に乗っただけといういつもながらの不届きな姿勢だ。まず、集合場所のJR横川駅から霧積温泉までの紅葉の美しさに感嘆する(ここは宿の車で)。翌日の山歩きも上ったり下ったりの変化が結構きつく初心者には相当ハードなコースだったが、一段と深みを増した紅葉と、山頂からの眺めに大いに満足した。霧積温泉の宿「金湯館」の昔ながらのつくりともてなしぶりにも感服する。入り口近くの壁には、かつてこの宿を訪れた憲政の神様、尾崎行雄の写真がかけてあった。編集者が泊まった部屋は、勝海舟や伊藤博文も使ったというから驚く。今は2軒の宿しかないが、避暑地としては軽井沢よりこちらの方が古く、ある時期までは軽井沢に行く人々もここを通ったそうだ。
実は出かける直前になり霧積という名前にかすかな記憶があるのに気づいた。ウェブサイトで調べ、森村誠一の原作と映画がそれぞれ大ヒットした「人間の証明」の舞台であると知る。といっても小説も映画も見ていない。テレビコマーシャルで何度も聞いた英語の主題歌とナレーションの印象が強かったということだろう。「母さん僕のあの帽子どうしたでせうね。ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ」。ただし、それが西条八十の詩であることもこれまで知らなかった。無論、森村誠一が小説の構想の多くをこの詩によったということもまた。
横川に向かう日の朝、遅ればせながら「人間の証明」を車中で読むことを思いついた。最寄りの図書館で首尾よく荷物にならない文庫本を借りてシメシメと思ったのだが、読み始めてみるとどうもおかしい。タイトルを見直して見たら「人間の証明PARTⅡ」とある。宿に着いたらちゃんと文庫本を売っていたので、2日帰京する新幹線の中でようやく本物に触れることができた。
「人間の証明」が大評判になった1976-77年当時になぜ原作を読もうとも映画も観ようともしなかったのか。理由は簡単で、松本清張作品の二番せんじのような気がしたからだ。黒人青年が殺される。どうも犯人は日本人の母親らしい、と知っただけでそう決めつけてしまったというわけだ。
さて、この思い込みは見当外れではなかった、というのが読後感であった。
いまや上流階級に属する女性が、終戦直後の過去を知られたくないために連続殺人をせざるを得なくなる。話の骨格は清張の「ゼロの焦点」とそっくりではないか。「キスミー」という被害者が発した言葉が「霧積」のことだったというのも、「砂の器」で使われていた手法にうり二つだ。被害者(犯人である主人公のかつての恩人)が話していた「カメダ」が実は「亀嵩(だか)」という地名だった、という。島根県に東北と同じようなズーズー弁を話す地域がある、ということに刑事が気づく。「砂の器」のこの場面の意外性に編集者もうなってしまったことを今でもよく覚えている。清張は国立国語研究所の研究者に刑事が確かめる場面を挿入し、話の流れにリアリティを持たせることも忘れていない。
「人間の証明」では、国立国語研究所の代わりに「東都外語大学」なる大学の教授を登場させていた。「きりずみ(霧積)」が米国のある区域、階層の人によっては「r」の音が抜けて「キズミ」と発音されることがあり得る、と語らせている。
類似点をあげつらうのはこのくらいにしよう。考えてみると自然科学や技術の世界も先人の成果を基盤に発展してきた。長年信じられてきた定説を覆すことで新たな飛躍も、ということを含めてである。先人のまねをしているからという理由で、その小説や映画の評価を下げるのは厳しすぎる、あるいは見当違いの批判かもしれない。発想、手法をまねされるのは、むしろまねされる方の作者が偉いと評価すべきだ、という考え方があるかもしれないからだ。
科学、技術の世界を中心にイノベーションとは何かを根本から議論し直そうという機運があるように見える。今の常識、流れの延長線上にイノベーションはあり得ない、というのが多くの有識者に共通する考え方だろう。他方、そうはいっても常識を覆すようなことが四六時中起きている社会というのもあわただしくて生きにくいのでは、と考える人も結構多いのではないだろうか。
3日、都心で開かれた公開討論「イノベーションと規制を考える」の開会あいさつで阿部博之・元東北大学総長が話した言葉を思い出す。
「最も重要視されるべきことは、社会における創造の重視」