レビュー

編集だよりー 2009年10月30日編集だより

2009.10.30

小岩井忠道

 東京文化会館でプラハ国立歌劇場の「アイーダ」を鑑賞した(28日夜)。

 この歌劇を観るのは2回目だが、最初の時より感心する。時々しか見ない編集者のような人間が最初から最後まで退屈せずに済む歌劇というのはあまりない。しかし、これは違う。専門家の評価は知らないが、合唱に加え特に二重唱、三重唱の迫力にはほとほと感服する。それにあのバレーの華麗さ、ダンサーたちの体型、身のこなしも。

 中学のころ、数少ないけれど二重唱や合唱も音楽の授業でならった。これらはパートによって受け持つ旋律は異なるが、歌っている歌詞は皆同じだ。複数の人間が、それぞれ旋律も歌詞も異なる曲を同時に歌う。こんな芸当は、日本古来の音楽には見られないと思うが、違いは何に由来するのだろうか。

 しかし、歌劇という芸術はぜいたくだ、とあらためて思う。主要な歌手に加え、合唱団、バレー団、さらにもちろん大勢の管弦楽団まで海外から連れてきて、一晩、楽しむのは2,000人ちょっとの人間だけだ。本場のイタリアですら政府の補助が減らされて歌手たちが抗議行動に、という記事を読んだのも確か1、2年前の話である。歌劇という世界は、今でもファンのチケット購入費だけでは成り立たないということなのだろう。

 そういえばワーグナーが詐欺師のように描かれていた映画「ルードウィヒ/神々の黄昏」(ルキーノ・ヴィスコンティ監督、1972年、ワーグナー役はトレバー・ハワード)があった。確か主人公のバイエルン王、ルートヴィヒ2世はワーグナーの楽劇のスポンサーになったため、国の財政まで傾かせてしまうという筋だった。

 チケットの提供者である友人と終演後、会場近くの飲食店でのどを潤す。何カ所、公演するのか知らないが、ちゃんとペイするのだろうか、尋ねてみた。某旅行会社借り切りの公演などパンフレットなどに記載されていないものもある。地方では主要な歌手を変えて公演したりと、結構、数はこなすので帳尻は合うということらしい。

 しばらく懇談するうち、着替えを済ませたミシェル・クライダー(アイーダ役)など主要な歌手や演出家ら4、5人が同じ店に入って来るのが見えた。高級店というわけでもないが、費用対効果に厳しい人間が行くような安い店でもない。店を出るときにのぞいてみたら、大勢が入れる広い店の一角を数十人に上る出演者たちが占領していた。

 「おそらく勘定は主催者持ち」。業界の事情に詳しい友人が言う。こんな店に皆が身銭を切ってくるわけはない、ということらしい。確かにこの円高では、海外からの人間にとって飲食費は相当な負担になるだろう。

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