レビュー

編集だよりー 2009年10月28日編集だより

2009.10.28

小岩井忠道

 鳩山首相が国連総会で「2020年までに25%の温室効果ガスを削減する」という演説をした日だから、一月ほど前のことだ。「首相の国連演説を新聞記事で読んだ」。銀座8丁目の行きつけの居酒屋で飲んでいたら、隣からそんな声が聞こえてきた。50代かと思えるスーツ姿の男性である。

 鳩山首相初の所信表明演説を伝える新聞記事を読んで、これを思い出した。日本の歴代首相の所信表明演説は、どの一般紙も詳しく載せてきたが、あれをきちんと読む読者が果たしてどれだけいるだろうか。官僚に書かせたものを大体そのまま読んでいるだけ。胸を打つような表現、挿話などはまず期待できない。大半の読者どころかマスメディアの人間ですらそう見ているに違いない、と長年思っていた。米大統領の演説記事の方がむしろ日本人の関心を呼んでいたのでは、とも。

 さて、26日の鳩山首相の所信表明演説はどうだったろうか。

 ある研究者の論文が主要学術誌で他の研究者の論文にどれだけ引用されたか。この被引用数の多さで、研究者と研究成果の価値を評価する手法が、科学の分野では当たり前になっている。国際情報企業「トムソン・ロイター」は毎年、この手法でノーベル医学生理学、物理、化学の有力候補者を予想、受賞者が決定する前に発表している。ことしは医学生理学賞受賞者3人を見事に的中させた(2009年10月6日ニュース「ノーベル医学生理学賞は米の3研究者に」参照)。

 この被引用数の考え方を借用してみようか、と思いついた。首相の演説が翌27日の全国・東京紙朝刊にどのように扱われたかを見てみよう、と。ただし新聞は、学術誌と異なり、載った記事の多寡だけを単純に比較しただけでは多分、意味はない。読者の関心の度合いと記事の扱いの大小は必ずしも一致しないからだ。

 首相が演説内容を推敲(すいこう)するにあたっては「『タクシーのラジオで聞いても首相が何を感じているか分かるように』心がけたと報じられている(毎日新聞総合面「クローズアップ」)。この狙いが通じたかどうかを見るには、一面や二面、総合面より社会面にどのように扱われているか、を重く見た方が、より意味のある“被引用数”ではないだろうか。

 まず目についたのは、日経新聞社会面の囲み記事(二段)である。多くの知的障害者を積極的に雇用している東京都大田区のチョーク製造会社「日本理化学工業」の会長が、首相に紹介されたことを素直に喜んでいることを伝える記事だった。こういう記事は恐らく多くの人に読まれる。

 この挿話は、朝日新聞社会面と東京新聞第二社会面の記事中にもかなり詳しく紹介されていた。産経新聞も簡単だが第二社会面で好意的に触れている。

 社説は濃淡があり「見えない政策の優先順位」(産経)、「『理念』だけでは物足りない」(読売)、「理念先行は否めない」(東京)、「『友愛政治』実現の道筋を 公約の優先順位示せ」(毎日)、「理念は現実に刻んでこそ」(朝日)といった批判ないし注文を込めた見出しが並んだ。

 まあ、どのような事態においても新聞の社説が手放しで褒めるなどということはない。そう考えれば、鳩山首相演説の“被引用数”は、ここ最近の歴代首相を相当、上回る、と言ってもよいのではないだろうか。

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