レビュー

編集だよりー 2009年10月23日編集だより

2009.10.23

小岩井忠道

 南田洋子さんが亡くなった。

 今村昌平の第一回監督作品である「盗まれた欲情」(1958年)が忘れられない。後に夫になる長門裕之と一緒に出ていた。父(滝沢修)が座長で夫(柳沢真一)が2枚目役者、自身も役者という旅回りの劇団で、座付きの演出家(長門裕之)と愛し合うが結局、家族を捨てられず愛人にも去られるという話だ。

 公開時は中学生でこの作品についての記憶はない。確か東京国立近代美術館フィルムセンターで数年前に初めて観たと思うが、南田洋子というのはこんなに美しかったのか、と感心してしまった。

 日本映画の最盛期、5社が次々に新しい作品をつくり、次々に封切り作品が映画館にかかる。そんな時代には外国映画の焼き直しのような作品も珍しいことではなかった、という話をどこかで読んだ記憶がある。いまだに思い出すたびに笑ってしまうのが石原裕次郎主演の「今日に生きる」(舛田利雄監督)だ。「盗まれた欲情」の翌年、1959年に公開されている。

 「北関東のある鉱業都市、そこでは宇山鉱業に出入りする三国運輸と山一運輸の間に血なまぐさい空気が流れていた。この町に東京からふらっと職を求めて城が現われた…」。Gooの映画サイトを見ると、あらすじの出だしはこう書かれている。

 中学生だったが、この映画は公開と同時に観た。「北関東のある鉱業都市」というのは編集者が育ったところで、撮影もここで行われたのである。地元は大騒ぎだった。裕次郎の役は、無論「東京からふらっと現れた」主人公だ。

 思い出すと笑ってしまうというのは、この作品は、米国の名画「シェーン」(ジョージ・スティーブンス監督、アラン・ラッド、ジーン・アーサー主演、1953年)の筋の骨格からいくつかの細部まで相当、いただいていることが後になって分かったからだ。裕次郎がアラン・ラッド、南田洋子の役は、主人公が身を寄せる家庭の主婦で、「シェーン」ではジーン・アーサーが演じていた。

 母屋とは別になっている風呂に入っているジーン・アーサーが、外で風呂釜にまきをくべてくれたのをてっきり幼い息子だと勘違いし、アラン・ラッドに話すシーンがある。「シェーンをあまり好きになりすぎては駄目よ」

 これと全く同じ場面が出てくるのだ。南田洋子さんの役が悪い役であるはずはなかったのだが、この映画の安易な作りが後々まで気にかかっていたのだろうか。最近になるまでその美貌に気づかなかったのは、それで、南田さん自身のイメージまでも割り引いてしまっていたのかもしれない。

 今村昌平作品集が次にどこかで上映されるときは、「盗まれた欲情」を見逃さないようにしよう。

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