前日、奥飛騨を1時間ほど歩き、晴れた日は槍ヶ岳が望めるという新穂高温泉の旅館で露天風呂などを楽しんだ、まではよかった。
朝テレビの天気予報を見ると全国、雨傘マークだらけである。北海道の大雪山系で何人もの登山客が死亡したニュースが伝えられていたというのに、午後には西穂高の稜線から上高地までの急な山道を何度もよろめいたり尻もちをついたりしながら下っていた。
前夜からの雨がやみそうもなく、いったんは山歩きはやめとなったのが、突然、日が差してきたのである。「やはり私やめときます」と、男では最も若い参加者として言いにくい。グループ7人のうち男性3人が予定を再変更し、山へ、となった。新穂高ケーブルカーを乗り継いで西穂高口まで上り、西穂高岳方面に稜線を適度なところまで歩き、再び西穂高山荘まで戻って上高地まで下るというコースだ。
西穂高山荘で昼食を兼ねて一休み、皆でビールの大ジョッキを空けたころまではまだ曇り空だった。周辺の景色を楽しむこともなく稜線をちょっとだけ往復する。その後は、どこまで続くかと思われる傾斜のきつい山道をひたすら下るだけである。天気予報通り降り出した雨は最後までやまなかった。
大雪山系で亡くなった気の毒な方たちは軽装の人たちが多かったそうだが、編集者が風邪もひかずに済んだのは、高山市内観光に切り替えた同行者の親切を素直に受け入れたおかげである。貸してくれた登山服を着ていなかったら全身ずぶ濡れとなり、無事では済まなかったと思う。登山歴60年、内外の有名な山を何度も登っている人がリーダーだから、命を落とすような心配はなかったにしても。
穂高も上高地も初めての地だが、上高地には親近感がある。親しい信越放送の報道局長(当時)が、7、8年前、同放送の開局50周年記念番組「21世紀に遺したい自然 上高地・四季」のビデオを送ってくれたことがあるからだ。1年間かけて撮影しただけに山歩きなどに全く縁のなかった身にも上高地一帯の自然のすばらしさが十分感じ取れる作品だった。この作品のナレーター、案内役として出ていたのが森山良子で、ギターを弾きながら歌っていたのが確か「涙そうそう」(森山良子作詞、BEGIN作曲)だ。この曲で「会いたくて、会いたくて…」と歌われているのは、恋人ではなく若死にした兄、というのもこの信越放送番組で知ったのだと思う。
北海道の遭難ではやはり企画した旅行会社に批判が集まると思われる。メディアにとっては一番たたきやすい対象だろう。相手はひたすら頭を下げる以外、メディア対応でやれることはほとんどないだろうから。
昔、朝日新聞記者(当時)の本多勝一氏がマスコミの報道姿勢について批判していたことをふと思いだした。「漁船が遭難して何人も死んでもそれほど大きな記事にならないのに、山の遭難となるといつも大きく報道するのはおかしい」と。
結局、自己責任ということになると思われる山の事故に、悪役(旅行会社)までそろってしまうとニュースの扱いがほどほどにとは成り得ない。グループの中で唯一、今回も軽装で参加した自身の軽薄さ、身勝手さを恥じたのもほんのひと時、すぐ別のことに思いがそれた。