通信社勤務時代の同期生宅に招かれ、久しぶりに家庭的なパーティの楽しさを堪能した。この同期生はソウル、ブリュッセル、ニューヨーク支局勤務の経験がある。ほかに招かれていた初対面の客たちの話も実に面白い。「ペルシャ人のアラブ人に対する優越感はどこから来るのか」。日本の生活が長いというイラン人に、相当ぶしつけな質問をしたが、嫌な顔ひとつしないでいろいろ話をしてくれた。「モンテ・クリスト伯爵(巌窟王)の最後の女性はペルシャ人」。わが方からも数少なく、しかも相当あやふやな知識を披瀝したところ、そのイラン人を含めだれからも肯定、あるいは否定する声は返ってこなかった。
教育の話になった。元文部科学官僚が「ゆとり教育は週休2日制にしたい日教組の要求から出た話。授業時間数を減らすほかないから、ゆとり教育などと」という。それほど単純な話でもあるまい、と帰宅して調べてみたら、Wikipediaにも経緯の最初に日教組が出て来る。「1972年(昭和47年) 日本教職員組合が『学校2日制』『ゆとりある教育』の提起を始める」と。
もっとも一挙に週5日制が実施されたわけではない。1980年度から実施された学習指導要領の改正で、学習内容、授業時数の削減が行われ、「教科指導を行わない『ゆとりの時間』を開始」となっている。第2土曜日がまず休みになったのは次の学習指導要領の改正が実施された1992年の9月からだ。
なるほど、小学校の1、2年生の理科が廃止されたのは、この時(1992年)かと思い出す。理科と社会がなくなり、代わりに生活という教科がつくられた。「実はなくしたかった本命は社会だった。しかし、社会だけなくすと政治的な意図を勘ぐられるのでついでに理科も、となったらしい」。理科教育を充実させる活動を続けている滝川洋二・東京大学特任教授(NPO法人理科カリキュラムを考える会理事長)に聞いて驚いたことがある。理由はどうあれ、本来、理科好きだといわれるこどもたちには迷惑な話ではないか。その上、大人になってから、科学リテラシーの向上を、などと言われても。
4月1日から新しい学習指導要領の一部が先行実施された。小中学校では算数・数学、理科の授業時数が増え、多くの小学校では、5、6年生で新たに英語の授業が行われることになった。編集者の孫息子が通う区立小学校では授業時間が増えたほか、希望者に対しては土曜日の授業も検討されているそうだ。孫娘の方は都心の私立小学校に通っているが、そもそも毎年、配布される新しい教科書は授業で使っていない、と聞いて驚く。古い教科書、中には相当痛んでいるものも含め、上級生から代々引き継いで使っているというのである。
“ゆとり教育”というのは早々と無視されていたということだろう。