レビュー

編集だよりー 2009年2月18日編集だより

2009.02.18

小岩井忠道

 ある国際機関の東京事務所で行われた記者会見に出た。英語がさっぱりだから、頼りは通訳だ。ところが、ほとんどメモがとれない。同時通訳で速くしゃべる習慣が身についてしまったのだろうか。早口に加えてさらに声が小さいのである。小さな部屋の記者会見だからマイクは不要と主催者は思ったのだろう。突発性難聴の後遺症を引きずる人間には、どうにもならない。後で聞いたテープも音量が小さくやはり役に立たなかった。

 それにしてもである。この通訳の女性が時々、ほおづえをついたまま話すのには少々驚いた。口元を最小限しか動かさない省エネ発声だから、ほおづえをついても同じようなもの、とはいえ…。

 何の収穫もないまま早々に記者会見場を後にして、日本橋で開かれていた9年上になる高校の先輩たちの同窓会に合流した。尊敬する先輩が多いので、月1回の例会に時々参加させてもらっている。

 単に飲み食いするだけでなく、短い2つの“定例講義”が聴ける。おすすめ本について話された先輩がこの日取り上げたのは、「アメリカ人の政治」(吉川欽一著、PHP新書)だった。この本の中で、読書家の先輩が一番印象に残った指摘だった、と紹介したのは「米国では多くの人間がよいと思ったことが正しいことになる」という原則だった。なるほど、裁判員制度をめぐる日本のメディアの報道ぶりをみると、分かるような気もする。何がどのくらいの罪に値するかは客観的な答えがあるのだから、法律の専門家に任せておけばいい。訳の分からない素人を悩ませるなんて…。こうした思いが一般国民だけでなくメディアの記者の中にも結構、根強く存在するのでは、という気がするからだ。

 陪審員制度が定着している国の国民性と、自分たちで考えるよりは、その世界に習熟した人たちに任せてしまうという国民性との違い。これは一朝一夕に埋まるようなものではないのかもしれない。通信社時代、一般の関心も高いはずと思われる裁判の判決の日になると、「今日はこれがトップ記事」と決めてしまう雰囲気が編集会議でみられたことを思い出す。結果がまだ分からない前にである。裁判所の判断が「下される」というだけで、ニュース価値があるとみなしているようで気になった。

 大勢の裁判官がいるのだから、単に前例を踏襲しただけの判決だって結構あるはず。判断が示されたというだけで仰々しくトップ記事するのは、読者のことを二の次にしていることではないか。とまあ、しばしば思ったものだ。

 本の紹介のついでに、この先輩が珍しく強い調子で展開したのがメディア批判だった。クリントン国務大臣がアジア歴訪の最初の訪問国に日本を選んだから、日本を最も重視している、などと受け取るのは笑止千万。実際には軽く見ている国から順に回っているのが真相かもしれないのに、そんなことはどの新聞、テレビも指摘していない、というのである。反論は全くなく、どうもこの世代の現代日本社会を見る目はことのほか厳しいものがあるようだ。

 もう一つの講義は、名作映画のミニ解説である。講師は無論、内外の映画に通じる先輩だ。この日、取り上げられたのはヒッチコック監督の「めまい」(1958年)だった。女主人公を演じたキム・ノヴァクが12年前、夕張映画祭にやって来たことがある。しかし、写真はない、など出席者のだれも知らない話や、米国では大根役者のことを「ハムアクター」あるいは「ハムアクトレス」というといった、これまた普通の人間が知らない知識を披瀝した。

 ハムというのは、食べるハムのことだ。どこを切っても同じにしか見えないという意味では、確かに日本にも「金太郎飴(あめ)」という似たような比喩がある。この作品で高所恐怖症の主人公を演じたのはジェームズ・ステュワートで、米国では「ハムアクター」と言われていた1人だそうだ。

 だれがいつ選んだかは聞きそびれたが、米国人が選んだ米国映画のベストテンというのをこの先輩が紹介した。「めまい」は9位に入っているという。ちなみにトップは、「市民ケーン」(オーソン・ウェルズ監督・製作・脚本・主演、1941年)で、さすがの先輩もベストテンの中でこの映画だけは見ていないという。目の前に座っていた先輩も「この作品見たいと思っているのだが」と言うので、「500円でDVD売ってますよ」と教えたら驚いていた。

 複数の参加者から、「そいつは見てないな」という声が上がったもうひとつの作品は「レイジング・ブル」(マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演、1980年)だった。ホー、これもベスト10位に入っているのか。そういえば主人公が黙々とシャドーボクシングを続けるシーンがあったなあ、と思い出す。カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲だけがバックに流れる静かで、妙に心に残る場面だった。

 最近は思い出したようにしか映画も見ない。しかし、トップの「市民ケーン」から10位の「オズの魔法使い」(ヴィクター・フレミング監督、ジュディー・ガーランド主演、1939年)まで、全部見ているのにわれながら驚く。「オズの魔法使い」は間もなく公開されるオーストラリア映画「オーストラリア」(2月16日編集だより参照)の中でも、大きな役割を担っている。映画の中にこの作品が上映される場面が出てくるだけでなく、主題歌「虹の彼方に」のメロディーが、それぞれ重要なシーンで繰り返し出てくるからだ。

 映画というのが多くの人の心をとらえてきただけでなく、映画を作る人たちが過去の名作を大事にして、大きな影響を受け継いでいることにあらためて感心する。

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