レビュー

編集だよりー 2009年2月16日編集だより

2009.02.16

小岩井忠道

 監督も主な出演者もオーストラリア出身という映画「オーストラリア」の試写を見た。「ロミオ&ジュリエット」「ムーラン・ルージュ」などで知られるバズ・ラーマン監督が、原案、脚本、製作にもかかわっている。

 太平洋戦争前後のオーストラリアをわしづかみにしたような大作、とでも言えるだろうか。「オーストラリア」という題名をつけただけのことはある、という印象だった。オーストラリア北部の都市、ダーウィンに対する激しい日本軍の爆撃が作品の主要場面の一つになっている。日本軍がこんなに「強力」だった時もあったのか、と複雑な気分になるほど、凄惨なシーンが続く。ウィキペディアで調べたところ、開戦して間もない1942年2月19日の戦闘だ。攻撃に参加した日本軍の艦載機は242機で、死者は251人に上り、オーストラリア本土に対する最初で最大の攻撃という。一定以上の年齢のオーストラリア人にとっては、忘れることのできない出来事だろう。

 いろいろな登場人物が出てくるが、見終わって真の主人公は先住民、アポリジニだ、と気づいた。「黒」でも「白」でもないという意味で「クリーム」という蔑称で呼ばれていたアポロジニと白人の混血。この混血少年が、息子のように愛されていた白人カップルの下から、アポロジニの呪術師である祖父とともに先祖伝来の大地へ“帰って”行く。それがラストシーンだった。

 作品を見た後、6日に日本記者クラブで聞いた作家、水村美苗氏の言葉を思い出す。話題の近著「日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で」について、著者の思いをたっぷり聞いてみようという趣旨の記者会見だった。

 ネイティブアメリカンの言語で、祖母のことを何というか。「縁を取り持つ人」だという。「グランドマザー」といった直截的な表現とは全く異なる。英語が地球上を席巻しつつある中で、少数言語が次々に消えていくことは、「縁を取り持つ人」のような表現もまた失われてしまうことにほかならない…。そんな文脈で紹介された言葉だった。

 雄大なオーストラリアの自然の中で新旧国民が織りなす愛憎劇。この大作をきちんと評価する能力は編集者にない。しかし、後々まで多くの人から高い評価を受ける作品だとすると、やはりそれはアポロジニの描き方が秀逸だからではないだろうか。呪術師を演じたデヴィッド・ガルピリルという俳優は、実際に祖先が何千年も住んできた土地で育ち、部族の戦士として伝統的な方法を学んだ人物だそうだ。この呪術師が作品の進行とともにどんどん存在感を増し、最後には登場人物の中で一番立派に見える演出に感服した。

 後からやってきて政治権力を握った側が、言語を含め、先住民の文化を抹殺しようとする。世界のあちこちで行われてきたことで、オーストラリアだけの負の遺産とも思えないが、多くのオーストラリア人にすれば、できればそっとしておきたい歴史ではないだろうか。しかし、それを真正面からとらえた映画を作った人たちに何より脱帽する。相当の興行収入を得ないと膨大な赤字を背負い込むと思われる大作だ。映画と映画人の持つ強大な力と可能性を、あらためて思う。

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