レビュー

編集だよりー 2009年1月6日編集だより

2009.01.06

小岩井忠道

 朝日新聞の朝刊生活面にコラムニストの天野祐吉氏が、漢字に絡む話を書いている。

 マスメディアの世界に長くいると、どの漢字が使えるかどうかは嫌でも身についてしまう。共同通信社の記者ハンドブック第11版最新版(昨年3月発行)で確かめてみたら「必須」というのは漢字で書けることになっていた。長い間「須」は使えなかったのだが、最近、晴れて使用できる漢字の仲間になったらしい。編集者が記者時代は、必須と書けないために、不可欠と言い換えていた。字数も一字余計に必要だったわけだ。

 天野氏のコラムが面白いのは、漢字が増えることがいいこととばかりとは言えないという視点で書かれていることだ。編集者は、通信社時代、最後のころ放送局向けニュースサービスを担当する局にいたこともあるので、天野氏の指摘には納得するところが多い。端的に言うと放送ニュースには、あまり漢語(熟語)は使わない方がよいということだ。これは活字だけで生きてきた記者には意外に気付かないことだが、熟語は極論すれば放送ニュースにほとんどメリットがないということである。同音異義語が多いので、耳で聞いてすぐにぴんと来ないことがあり得る。さらに熟語は活字の場合、字数の節約になるという大きな長所があるが、放送ではこれもほとんど長所にはなりえないということである。

 例えば、新聞記事によく出てくる「断定した」は、字数でいえば4字である。「突き止めた」は5字で一字多い。同じスペースにたくさんの情報を詰め込みたいという観点から言えば「断定した」に軍配はあがる。では放送ニュースではどうか。「だんていした」のほうが「つきとめた」より逆に1字多いのである。「だんていした」と「つきとめた」では耳から聞いた場合の印象はあまり違わないかもしれないが、同じ意味なら熟語でない表現の方が柔らかく、分かりやすいだけでなく耳触りもよいのではないか。あとから大陸から入ってきた漢語は、日本に古くからあった大和(やまと)言葉に話し言葉ではかなわなかったということだろう。

 それから、これは活字だけで生きていた記者の多くも気付いていると思われるが、熟語が多い記事は、堅苦しい印象を与え、その上、見た目でもすぐばれてしまうということだ。全体として黒っぽく見え、一目で分かるのである。平仮名や片仮名より漢字の方が同じスペースにおさめられた印刷部分が多いので、白い部分が少なくなってしまうからだ。

 漢字が入ってきたことで日本語が豊かになった、という主張はよく聞く。確かに漢字がなければ書道家など存在不能か困難になってしまいそうだ。また、漢字が全くない文章は読むのは苦労するのは間違いない。漢字のところだけ注意して斜め読みしても大意は通じると言うことはあるが、平仮名だけではこんな芸当は不可能だ。

 結局は程度の問題ということになるかもしれないが、天野氏の締めの言葉が妥当と言うことだろうか。

 「耳で聞いて分からない文章は、なるべく書くまい」

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