新聞記事もテレビの報道番組もこのところ明るい話題はさっぱりだが、編集者にとっては実に満足の1日だった。
午前中に必要不可欠な仕事を終わらせて、昼過ぎ、日本科学未来館に出向く。産業技術総合研究所のサービス・イノベーションシンポジウム「サービスを工学する」を取材するためだ。サービス産業に工学的な観点から挑むのがいかに難しいか。編集者は、昔、藤島恒夫が歌っていた「月の法善寺横町」の歌詞とメロディが浮かぶ。「包丁一本 さらしに巻いて 旅に出るのも 板場の修行…」(作詞:十二村哲)。仕事は先輩の作業を見、断片的な注意などを受けながら体で覚える。一人前になると、いろいろな店を渡り歩くのも珍しくない…。外食産業で活躍する料理人にはそんなイメージを抱いている。実際、いまでも外食産業の職場定着率というのは他の職業に比べると相当低いそうだ。
サービス業が、個人の勘に頼ってきた面を強く持ち、生産性を高めるのが難しいのは確からしい。一方、サービス産業が日本経済に占める割合は、7割(GDP・雇用ベース)に上り、さらに、少子高齢化など社会構造変化や公的市場の民間開放や規制改革によって今後さらに需要の拡大が予想されるという(2008年9月1日ニュース「科学・工学的手法でサービス業の生産性向上」参照)。ここを放置しておくと日進月歩の製造業との違いが拡大する一方で、やはり社会にいろいろな支障や不均衡を産み、容易ならざる事態になるかも、ということは理解できる。
ここを何とかしようというのが産総研の取り組みだ。この日は、吉川弘之理事長が自ら最初のあいさつを行い、力の入れようをあらためて示していた。「サービスは人間の根源的行為。ヒトは1人では生きていけず、集団社会をつくらざるを得ないからだ。別のヒトにサービスする、助け合うということがなければ集団ができるはずはない」。吉川氏の話をメモしながら、思わずうなずいてしまった。
コンビニがここまで社会に浸透するのにいかなる戦略があったかなど、その後の報告、パネルディスカッションも聴きごたえ十分の内容だった。閉会のあいさつだけは失礼して会場を後にする。せっかくチケットをもらったサントリーホールのNHK交響楽団定期演奏会に遅れてはえらいことだからだ。
「パガニーニの主題による狂詩曲」を弾いたのは、ユジュ・ワンという中国人女性ピアニストである。観客の拍手に小柄な体で何度もお辞儀をして答える仕草が、なんとも若々しく、演奏時の迫力と好対照だった。
この曲にもすっかり感服したが、その後のチャイコフスキーの交響曲5番を聴いて考えた。ロシアの作曲家というのは人一倍、サービス精神が旺盛なのだろうか、と。昔から漫然と音楽を聴いてきた口だから曲を聴いて曲名が分かるものなど数えるほどである。しかし、このチャイコフスキーの5番などは、最初から終わりまで全く退屈することはない。久しぶりに聴くのでどんな曲だったかすっかり忘れていたが、すぐに思い出す懐かしい旋律が毎楽章に出てくる。
音楽は、やはり生で聴かないと…。一度、入ってみたいと思っていた五反田駅そばのイタリア料理店で一杯飲みながらあらためて幸せな気分に浸る。そのうちふと考えた。飲食店ばかりでなく、音楽家も、さらには「サービスを工学する」ことに挑んでいる研究者もサービス業ではないのか。科学的、工学的なアプローチがしやすいかどうかの違いがあっても。こういう職業は、成熟した人間社会にあっては、ますます重要になるのではないか。製造業の生産性がますます上がったら、社会は買う人がいなくなるほど物であふれかえってしまう。自動車業界など、そろそろそんな心配をした方がよいのではないだろうか。
編集者のような物欲、所有欲の希薄な人間に喜ばれ、地球環境にもさほどの負荷を与えないように見える「サービス業」の重要性を再認識した日でもあった。