正月に掲載する記事のため金澤一郎・日本学術会議会長にインタビューした。学術、教育の現状に対する危機意識が予想以上に大きいのに驚く。今の評価の仕方は日本にあっているのだろうか。若い研究者に短期的成果を挙げることを強いる結果になって、将来、大きな成果を挙げるような人材もつぶしてしまっているのではないだろうか…。インタビューは予定の1時間をだいぶオーバーしてしまった。
会長室を辞した後、隣の国立新美術館の日展会場をのぞいた。高校の先輩、鷹巣照良氏が初入選した書が展示されている。高校の同窓会東京事務所に飾る大作を寄贈してもらったり、記念誌の題字を書いてもらったりと、ひごろ大変、お世話になっている方だ。
既に閉館の30分前。真っ先に鷹巣氏の作品のところに行く。正式には何というのか知らないが、巻物になっている紙に書かれた書である。意味を解するのはあきらめて、一字一字、あるいは全体の形、バランスに秀でたところを探そうと試みた。しかし、全くの素人に分かるはずもない。多くの人が、長年取り組んで形成されてきた書の評価がどのようになされるのか、その奥深さに思いを巡らすくらいが、いいところだろう。
せっかく来たので洋画部門も見ることにした。美術展というのは、閉館直前がいいことを知る。ちょっと前、水戸育英会の旅行会で、江戸博物館に行ったのを思い出す。ボストン美術館の浮世絵特別展は、すべての絵の前に人の壁ができ、すぐにあきらめてしまった。おかげで、江戸博物館には人があまり行かない映像ライブラリーというのがあるのを知った。受付でレシーバーを借り、端末でいろいろな映像を引き出して楽しむことができる。昭和20年代、30年代の東京の風景などを見ていると飽きない。
日展会場は、ボストン美術館の浮世絵特別展とは大違いだった。美術展というのは閉館直前に来るに超したことはないようだ。観客はチラホラしかいない。短時間でこの大量の展示にどう立ち向かったものか考え、女性を描いた絵だけを見ることにした。風景や静物の絵より分かりやすいように思えたのに加え、ある興味が浮かんだからだ。作者の性別である。駆け足でフロアを見回って、予想が当たっていたのを確かめた。女性を描いている絵の作者は、男より女性の方が多かったのである。
女性の美しさが分かる、女性の魅力を探ろうとするのも、今や男より同性である女性の方が熱心、ということだろうか。スポーツの世界も、日本に関しては女性の方が元気がよさそう。北京オリンピックを見てそう感じた人も多いようだが、ひょっとして美術も似たような状況があるのだろうか。そういえば先日、高校の130周年記念式典で隣り合わせになった市長夫人(夫の代理で出席)が、言っていたのを思い出す。夫は大方の予想を覆し、合併後初の市長選で見事当選した。「選挙で頼りになったのは女性。応援すると思ったらとことんやってくれる。その点、男は…」
科学、技術の分野も、女性の活躍の場を早急に確保、拡大した方がよいのではないか。あらためて感じたものだ。
日展の後は、すぐ近くにある「オリベホール六本木」で、高校の先輩ご夫妻と林家正蔵独演会を聴く。落語には格好の手ごろな広さのホールにもかかわらず、正蔵の声がよく聞き取れないのにがっかりした。片方の耳が聞こえない難聴者だから、わがままは言えないが、終わった後聴いたら、先輩夫妻も同じ思いだったという。
落語家は声が大きければいいというものではないだろうが、発声練習をするか、もっとマイクに近づいて話すかするくらいのサービス精神がほしいと感じたものだ。