いつごろからだろうか。立派な高層ビルの中の飲食店街で気になりだしたことがある。どこにうまい店があるか、といったことを気にするグルメ志向はない。肉類は滅多に食べないし、関心がある食い物の種類など限られたものだ。気になっているというのは、「○○坊」なんてどうしてあちこちに同じ看板のそば屋が増えてしまったのか、ということである。
昔、神田のあるビル内で古くからレストランをやっている店主にひょんなことで話を聞く機会があった。「脇で飲み食いしているだけでよい」。ある新築ビルへの店移転を打診する友人に言われて、付き合っただけである。「レストランのあるフロアに、一般客用と別で、かつ通路も全く別のビル関係者専用の手洗いはあるか」。「食材その他を出し入れできるビル関係者専用のガレージはあるか」。もち屋はもち屋。脇で聞いていて実に的確と思われる質問を友人が店主からぶつけられていた。
後で聞いたら結局、この店舗誘致は不成功だった。最大の理由は、費用の問題だったらしい。新築ビルに店を開こうとすると、内装はすべて店の持ち分。設計からすべて費用がかかるので相当の負担になる。こうなるとあちこちに店を出しているチェーン店にかなわない。店舗の設計は、既存店のものを使えばよいから不要。その他、開店準備を一からやる独立店舗は分が悪い…。店主が言っていたことを思い出した。これじゃあ、あちこち同じ名前のチェーン店が増えるのも仕方がないか。
そのころから、ささやかな抵抗をしている。夜の飲食は、高層ビルなどには滅多に行かず、個人でやっている店に、という。そのうち、東京の飲食店はチェーン店ばかりになってしまい、いつも同じような接客態度で応対され、似たような味のものしか食べられない国になってしまうだろう。一杯飲み屋に類するものなどほとんどなさそうな米国の大都市みたいに。ならば今のうちに…
数日、アルコール抜きだったが、かぜも治りかけたようなので、日常のスタイルに戻ることにした。寄った店は、「12月28日で閉店」という突然のはがきが届いたなじみの店である。前にあった店が、再開発のため立ち退かざるを得なくなり、全く別の地で再出発してそれほどたっていない。「赤字さえ出なければいいと思っていたのだけど」。夫妻のほか、1人だけ手伝いの女性だけでやっている店の女主人が言っていた。出すものはすべて相当な手が入っているのがよく分かる店である。新しい場所が悪かったとしか思えない。
この店がなくなると、数少ない編集者の選択肢もさらに狭まってしまう。内外の情勢を見ると、個人経営の飲食店は、これから一層、存続が厳しくなるのだろうか。寂しい時代になりそうだ。