レビュー

編集だよりー 2008年9月12日編集だより

2008.09.12

小岩井忠道

 野依良治・理化学研究所理事長が日経新聞に連載中の「私の履歴書」を読んで、だいぶ昔、先輩記者から聞いた話を思い出した。相手は桑原武夫氏だったと思うが、京都支局勤務時代、取材した時に言われたそうだ。「3代続かないとよい学者は生まれない」。湯川秀樹博士を初め、京都大学の名だたる研究者には学者の家庭に育った人が少なくないという事実を念頭に置いた言葉だったのだろう。

 学者といえば多くの子どもが真っ先に浮かべるのは貧農の家庭に育ち、世界に飛躍した野口英世のような人。そんな時代に育ったから先輩も「学者の家に生まれないと…」という言葉が強く印象に残ったに違いない。前後の話は全く忘れているのに、そこだけよく覚えている編集者も多分、同様に。

 桑原武夫氏より下の世代になる京都学派重鎮のご子息宅にひょんなことでお邪魔したことがある。この方は父上の職業を継いでいない。しかし、父上の周辺にいた著名な研究者たちはよく知っている。杯を交わすうち、「学者は3代続かないと…」という話を冗談半分に紹介したら、それまで黙って聴いていた奥方から、思わぬきつい言葉が飛んできた。「それはあなたがそう思うだけでしょう!」。そんなつもりは毛頭なかったのだが、京都学派の人々を少々揶揄(やゆ)するような口調に聴かれてしまったらしい。

 「関東の田舎者が、何を偉そうにペラペラと」と言われたような気がして、大いに反省した。

 野依良治氏も京都大学出身である。父上は企業の技術者というから、桑原先生が言う「学者」の範疇に入るかどうか分からないが、今朝の日経の記事を見ると、奥方の家族はまぎれもなく大変な先生ばかりだ。父上の大島正光氏は、野依氏が書いているように「日本の医用電子学の創始者」で、昔、編集者も取材したことがある。月へ初めて人類を送り届けたアポロ計画が世界中の関心を集めていた時期。有人宇宙飛行が人体にどのような影響を与えるか、将来の宇宙空間における人類の活動は?といった記者の疑問に、分かりやすく答えてくれる研究者など、大島氏以外にほとんどいなかったような気がする。

 記事を読んで、はたと遅ればせながら気付いた。学者の家で育つということは、親から受ける直接の影響にとどまらない、ということだ。親類や親の友人に研究者、それも専門を異にするさまざまな研究者がいることで、これらの人々からの影響も受けて知的な関心、ものの考え方の幅が平均的な人よりはるかに広がるのではないだろうか。独創的な成果を求めながら、独りよがりという落とし穴に陥ることもなく…。

 たまたま、前日、傍聴した産業技術総合研究所主催の「安全科学研究部門設立記念講演会」で聴いたばかりの安井至・科学技術振興機構研究開発センターシニアフェロー(前国連大学副学長)の言葉が、より説得力を持って思い返された。

 「専門家が専門化している」。論文発表数などを競う業績主義が、研究者の関心の対象を狭くする専門化を加速しており、安全科学のような幅広い関心、知見を必要とする研究分野の進展を阻害している、という趣旨の話の中で出てきた言葉だった。

ページトップへ