雨が心配されたが、高校の同窓会主催の夏休みイベント「小江戸川越の散策ツアー」が、無事、行われた。昨年は、神宮球場でヤクルト・横浜戦を観戦する企画だった。ことしは歴史と文化の町、川越の町並みを楽しんでもらおうという趣向である。「星野清次郎商店(酒屋)前」「菓子屋横丁入り口」「川越市立美術館・博物館入り口」「喜多院入り口」の4カ所に実行委員が待機し、ここで順次、スタンプを押してもらい出発地点の西武新宿線本川越駅前に戻ると記念品がもらえる。
この日、編集者は、明治時代に水戸徳川家が私財を投じて設立した寄宿舎に端を発する財団法人「水戸育英会」の会議に出席しなければならなかった。この会議の後、田園都市線用賀駅から渋谷に行き、地下鉄副都心線に乗り換える。「飯能」行きにすぐ乗れたので、「池袋で乗り換える必要もない。しめしめ」と新聞を読み始めた。その時点で、副都心線というのが東武東上線だけでなく西部池袋線にも乗り入れていることを忘れていた。終点の飯能駅に着いてようやく間違いに気付く。
所沢まで戻り、西武新宿線に乗り換えるというとんだ道草を食った結果、川越に着いた時点で、ほかの参加者たちは既にゴールのすぐ近く。結局、全く汗をかかず、参加者有志による「反省会」でアルコールにありつくだけの結果となる。
この催しの責任者である企画委員長(後輩)は、高校時代、野球部のエースだ。参加者中、唯一の同級生も野球部の中心選手だった。当然、北京オリンピックの野球が話題の一つになる。「野球は水物ということ」。同級生の元遊撃手が冷静な感想を述べ、元エースの後輩も「そもそも野球はオリンピック向きではない。他の競技と比べると、時間がかかるスピード感のない球技という印象を与えてしまう」と、これまた実に的を射たコメントである。
確かに野球というのは、集団でやる球技の中では実にユニークな競技といえよう。集団の球技なのに敵味方が1対1で対峙(たいじ)する場面が実に多い。投手対打者という1対1の対決の間に、遊撃手−二塁手−一塁手による併殺プレー、あるいは外野手から補手への返球を内野手が中継すると行った連係プレーがたまに見られるといった感じだろう。
だから、野球の選手や監督はつらい。結果が悪いと自分ではキャッチボールもおぼつかないようなファンからも批判されるからだ。ほかの集団球技ならこうはならない。多数の選手がめまぐるしい動きをする連携プレーの中で時々、鮮やかな個人プレーも見られる。これが当たり前だから、一人一人のプレーの善し悪し、とりわけ監督の作戦の是非を評価できる観戦者などごく少数にすぎないだろう。
川越散策の参加者の中にスポーツ新聞社に勤める後輩がいた。日本チームがメダルなしに終わった後、同社に星野監督批判の電話が相次ぎ、社員一人が退社してしまったと聞いて驚く。席が離れていたので詳しい話は聞けなかったが、電話の応答で消耗、“炎上”してしまったようだ。電話の多くは、星野監督批判にとどまらず、なぜ記事でもっとたたかないのかという新聞社に対し怒りをぶつける内容だったらしい。
すぐに切れる。現在、日本の子どもたちに昔はあまり見られなかった現象が増えている、という話を安梅勅江・筑波大学大学院教授に聞いたばかりである。すぐに切れてしまう子どもたちを生む環境要因は何かを突き止めるには、数年という短い期間の研究では到底、結論はえられないということだ。理由を突き止める研究が進んでいる間に切れる子どもたちも次々に大人になっていく、ということだろうか。
気の毒なスポーツ新聞社の社員のことを想像しながら、ふと思った。怒りの電話をかけてきた人たちはどのような性格で、どのような発達過程を踏んだ人たちなのだろうか、と。