実家のあとを継いでいるいとこが60代半ばという年齢で亡くなり、27,28の両日、葬儀に出席した。10代の時に胃の手術を受けた際にC型肝炎ウイルスに感染し、以来、ずっと悩まされていたことを初めて知る。親族でC型肝炎にかかった人間は初めてなので、あらためてこの病気の深刻さを思い知らされた。
ウェブサイトを見ると、長年正体がつかめなかったC型肝炎ウイルスがついに発見されたのは、1988年というのもあれば、1989年という記述もある。どちらにしろ、米国のカイロン社によるウイルス発見の発表はよく覚えている。その記事を書いたからだ。プレスリリースを読んで大変な発見だと分かったが、それまで、C型肝炎ウイルスどころか、肝炎に種類があることさえほとんど知識がなかったのだから、あきれる。
ウイルスが突き止められたことで抗体検査が可能になり、いとこのように輸血のためにC型肝炎で一生、悩まされるという人はほとんどいなくなったようだ。多くの犠牲の上に医療の進歩が成り立っていること、病気の恐怖から多くの人が解放されていることを痛感する。
子どものころから長い間、実家を訪ねる際には最寄り駅から歩くか、一つ隣の駅からバスで行くかのどちらかだった。車を持つようになって車で、車を手放してからはレンタカーで訪ねるようになった。それもおっくうになり、この何年かは最寄り駅からタクシーを利用している。帰りにいとこが駅まで送ってくれるのが、いつも心苦しかったのを思い出す。葬儀の前日に訪ねた際、遺族が送るというのを断り、駅まで歩いてみた。昔はなかった駅の出口が実家側にもでき、さらに駅前から実家のすぐ近くまで真っ直ぐに大通りが通っている。タクシーで何度か行くうちに、歩いてもたいした距離ではないとうすうす感じていたからだ。
案の定、20分もかからなかった。実家のすぐ裏、稲田の中を通る道周辺の景色だけは昔の雰囲気を辛くも残していたが、田を過ぎると駅までの風景は一変している。子どものころはチラホラしか出合わなかった住宅や店舗が途切れない。駅から遠いという印象は全くの思いこみだったわけだ。ある時期、住んでいた都内のニュータウンで、自宅から最寄り駅までの距離も徒歩20分近くかかっていたのを思い出す。働き盛り、くたびれた体で出勤、帰宅するのに毎日、実家と駅までと同じくらいの距離を歩いていたということだ。おまけに最寄り駅から勤務先までが約1時間。思えば人生の相当な期間、なんら生産的でないことに膨大な時間を費やしていたということである。都会で働く多くの人間が、地方より不便な日常生活を強いられているという国や時代は、日本以外にも例があるのだろうか。
イノベーションがとっくの昔に必要とされたのは、庶民のライフスタイルではなかったのでは。帰京してからしばし考えた。