日本学術会議の臨床医学委員会感覚器分科会主催の市民公開講座「見るよろこび、聞くよろこび-AVDの克服に向けて-」を、日本学樹会議の講堂で聴いた。1年前にも同じ主催者、同じタイトルの市民公開講座が開かれている。
閉会のあいさつをした金子敏郎・千葉大学名誉教授(元日本学術会議会員)が、「6年前学術会議会員だった時に、『ものが見える 音が聞こえる』というタイトルで同じような会を開いたが、15、6人しか集まらなかった。今日のように100人もの人々が集まるのを見て、学術会議もここまで門戸を開くようになったかという思いだ。最後に会場から出た一般の人々の質問が大切だ。こうしたじかの触れあいを通じ感覚器障害に対する医療も発展していくのでないか」と述べていた。
同感である。昨年の公開講座以来、この公開講座開催で中心的な役割を担っている田野保雄・大阪大学医学部教授(眼科、日本学術会議会員)に昨年、聞いた話が記憶に残っている。見る、聴くという感覚機能は、人間にとって非常に重要で、困っている人も多い。その割には、研究開発費など公的な支援は必ずしも十分とは言えない、ということだった。がんをはじめとする3大疾患と異なり、通常は生きるか死ぬかという障害ではないから、ということがあるのだろう。視聴覚障害者たちの多くがおとなしく、政治的な影響力が小さいという事情もあるのかもしれない。
しかし、目や耳で悩む人の数からすれば、治療法の画期的な進展による恩恵は非常に大きいのではないだろうか。突発性難聴で片耳が全く聞こえなくなってしまった編集者は身にしみて分かる。もうちょっと早く罹患していたら、通信社生活も危機に瀕するところだった。幸い現場で走り回るという年齢を過ぎていたので、その後の職責を何とかこなすことができたのだろう。不自由さは相当のものだ。
緑内障など視覚障害に悩んでいるという会場の参加者から、興味深い質問があった。「新聞も活字を大きくするなどの対応がみられる。しかし、印刷物の活字の主流になっている明朝体が非常に見にくい。ゴチック体に変えるということなどは、できないものか」というのだ。
明朝体というのは、小さい活字でも読みやすいというのが大きな特徴らしいが、確かに一つひとつの活字を構成する線は細い。視力に問題を抱える人にはゴチック体のような活字の方がよほど見やすいということなのだろう。
標準の活字を変えるということは、大変なことだというのは容易に想像できる。例えば、パソコンで作製した文章をプリントアウトするとき、うっかりゴチック体にしてしまい、時間がかかってイライラした経験を持つ。仮に新聞の活字をゴチック体にすると、印刷時間がかかる、インク代も増えるなどさまざまな問題が出てきそうだ。
障害を持つユーザーの立場に立つと新しい発想が出てくるという赤池学・ユニバーサルデザイン総合研究所所長の話を思い出した。「バリアバリューデザイン」という新しい考え方だ。