レビュー

編集だよりー 2008年7月28日編集だより

2008.07.28

小岩井忠道

 久しぶりに国立演芸場で女流義太夫を観る。これほど客が入ったのを見るのは初めてだ。

 「義太夫教室かなにかの生徒さんたちかしら。一度は本物の演奏会を観てきなさい、とでも言われて来た…」と、鑑賞仲間の後輩。品がよい女性客が多いように見えた。

 この日の出しものは、義経千本桜で、前半は「椎の木の段」。次に「小金吾討死の段」というのが入るらしいが、これはカットして後半の「鮓屋の段」に、という構成だった。「鮓屋の段」というのがどうも特に有名らしく、竹本駒之助の語りもいつもよりはるかに気合いが入っているのがよく分かる。

 義経千本桜をすべて聴いたことはない。NHK教育テレビの番組「日本の伝統芸能」で、さわりだけ見せられた時には、どこまで事実に即しているのか、しばらく頭を悩ませたものだ。日本の歴史にうといくせに、事実かどうかなどということがどうにも気になる。そんな人間は、古典芸能のよき鑑賞者にはなれないのでは、といつも思う。

 それにしても浄瑠璃にはどうして親が子を殺すような場面が多いのだろうか。文楽が海外公演をしたときに、そんな場面で客席の女性が、「やめて」と真剣な表情で叫んだ、と高名な人形遣いがテレビで語っていたのを思い出す。

 「鮓屋の段」でも家族にも見放されていた嫌われ者が、実は大変な忠義者で、そうとは知らなかった父親に刺し殺される場面が出てくる。そのうえ、鮓屋の奉公人に身を変えている平維盛とその妻子を助けるために、自分の妻子を身代わりに源氏の討手に引き渡していたというのである。

 こうした筋がなぜ多くの人に受け入れられ、名作としていまだに演じ続けられているのだろうか。なかなか理解できない。

 来月の公演演目を見ると「伽羅先代萩定 政岡忠義の段」が入っている。これもわが子が主君のため毒入り菓子を食べて死んでしまう乳母の話だ。気が小さい人間には、またなんともつらい語りを聴くことになりそうだ。

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