レビュー

編集だよりー 2008年7月6日編集だより

2008.07.06

小岩井忠道

 高校のバスケットボール部OB・OG会の役員会で水戸へ出かけた。議題その他の名目はあるが、真の開催目的はそろそろまた集まって一杯やろうということである。男女を問わず相当ハードな練習を後輩たちに課し続けてきた顧問の先生が、今年度限りで教職を退くという。酒をつぎあっているうち、めずらしくぼやきを聞いた。「毎年、新入生の内申書を調べるのだが、中学での経験者がとにかく少ない。ことしは6人しかいなかった。そのうちの4人を入部させたのだが」

 これで有望な選手を集める私立高校などと毎年、闘ってきたわけだから、あらためて長年にわたるご苦労に頭が下がる。先日のインタハイ県予選では、県内では常勝の私立高とベストフォー入りをかけて対戦、2点リードで前半を終えるという健闘ぶりだったという。

 子どものうちに身につけた方がよいことはおそらくたくさんある。スポーツは間違いなくその一つだと思う。昔、勤めていた通信社で何人かとバスケットボールの同好会をつくって時々汗を流していた。後から入ってきた後輩の何人かに、しばしば違和感を覚えたことを思い出す。自分では相当うまいと思っているらしいのが、言動からよく分かる。だが、上手下手の評価以前にプレーが身勝手なのだ。年上の人間に対する態度もスポーツ選手らしくない。

 「ドリブルインをすると周りの動きが全く目に入らなくなる」。一般論を装って、その人物のプレーを評したら「それでいいんだ」というむちゃくちゃな答えを返され、会話を続ける気がしなくなったこともある。ドリブルインというのは、ドリブルでゴール下に切り込むプレーだ。周りの動きが全く目に入らなくなる、という意味は、その人間がドリブルインを始めたらまず味方にボールがパスされることはない、ということである。何が何でもシュート、という以外の選択肢を持っていないのだから。

 なぜこんな唯我独尊スタイルが身についてしまったのか。大学時代に部か同好会に入っていたようだが、高校時代はどうも部活動はしていなかったらしい、とそのうちに気づいた。ハハーン、中学、高校できちんと基礎を教え込まれていないからか。そう考えて納得した気になったことを思い出す。

 前日は、都心で高校の同級生たちとの同窓会だった。弁護士の世話役が、高校時代に習ったことの重要さを力説していた。「カロ・ミオ・ベン」や「サンタルチア」が、いまでもスラスラと歌える。意味も分からないイタリア語で歌わされていたのにいまだに覚えているのが何とも不思議、という。

 同じ先生に音楽を習った人間が半数ほどおり、「おれは『イッヒ・リーベ・ディッヒ』も歌える」など次々に同感の意を表す。編集者も音楽選択組の一人だ。「サンタルチア」は同級生の勘違いで、歌わされたのは同じナポリ民謡でも「オーソレミオ」の方だ。「ケベラコーサ ナユナタソーレ…」。この曲も確かにスラスラと歌詞が出てくる。

 人間の脳の働きの最も高度な部分に大きく貢献しているのは小脳で、しかもその働きは無意識のうちに行われている…。伊藤正男・理化学研究所脳科学総合研究センター特別顧問の話を思い出す。スポーツ選手の見事な動きや芸術家の創作・表現行為は、こうした脳の最も高度な働きのなせる技。そう考えると、何となく分かったような気になる。

関連記事

ページトップへ