レビュー

編集だよりー 2008年6月29日編集だより

2008.06.29

小岩井忠道

 先週に続き、朝、エフエム放送で放送大学の講義「教育の社会史」(小山静子・京都大学大学院 教授)を聴いた。高等女学校生の制服がどのように変わったか、という話だった。旧制中学生の制服を決めるのは、軍服というモデルがあったから、悩むこともなかったらしい。女子は手近に適当なものがなく、最初は、旧制中学生同様の制服を着せられたこともあったという。当時の女学生の心中が察せられて同情したが、その後の紆余曲折も45分の講義ができるくらいだから相当なものだ。

 三島由紀夫の戯曲「鹿鳴館」でも知られる欧化政策の時代(1980年代)には、同じような服装が制服として考えられたというから、驚く。高等女学校生には幸いだったと思う。これは定着しなかったというから。鹿鳴館の時代が長く続かなかったせいか、そもそも発想がとんちんかんだったのか、聞き逃したが。

 エルヴィン・フォン・ベルツまで登場する。後で検索してみたら、1876年から1902年まで東京医学校、東京大学医学部で教え、その後、宮内省侍医も務めている。欧化政策のように日本の伝統を否定するような風潮には批判的だったという。

 師範学校女子部、高等女学校の教員になる女性を教えるため、1900年に女子高等師範学校がつくられた。この際にも制服をどうするかという話になり、ベルツの意見がものを言ったということだ。いまでも卒業式の時季になるとあちこちで目にする袴姿の制服がこの時に登場し、洋装化が実現する1920年まで定着したということだった。当時の小説などにもこの制服姿の女学生がよく出てきたそうだから、見栄えも、着心地もまずますの制服として人気があったということだろうか。

 この講義を聴いた後、まだ目を通していなかった新聞の記事を読んでいたら、毎日新聞の27日夕刊、澤地久枝さんが登場している特集ワイド欄「おちおち死んではいられない」の中に「女書生」という言葉を見つけた。女書生というのは、小山静子教授の講義の中にも出て来た。幸い定着せずに済んだ軍服のような制服を身に着けさせられた初期の高等女学校生たちを揶揄する言葉だったという。

 「実現不能の理想論とか、女書生の夢などと言われることは覚悟の上だ」。澤地久枝さんの言葉はこのような文章中に出てくる。「女書生」の夢と言われようと言っておかなければならないことというのは「自衛隊を憲法違反の存在とし、日米安全保障条約の平和条約への変更、全在日米軍の撤退。つまり憲法本来の原点へかえしたい」だった。

 これまで聞いたことがあるようなないような…。そんな「女書生」という言葉が気になってたまたま手持ちの辞書を引いてみたら載っていない。Yahoo、gooの辞書検索でも出てこなかった。鶴見和子さんに「女書生」という著書があり、1957年に河竹黙阿弥原作の「女書生」というテレビドラマが、つくられたということは分かったのだが…。

 「女書生」が辞書に載っていないことに、何か理由があるのだろうか。

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