レビュー

編集だよりー 2008年6月24日編集だより

2008.06.24

小岩井忠道

 これほど本気で聴衆が拍手を送るのは、初めて見るような気がした。外国では演奏者が観衆からブーイングを受けたりすることもあるそうだが、日本では見たことはない。そこそこのホールでの演奏会、とりわけ演奏者が外国人だったりすると、皆、いつも同じように大きな拍手を送るように感じていた。

 ゴルトベルク変奏曲のアンコール!と銘打つセルゲイ・シェプキンのピアノ演奏を、すみだトリフォニーホールで聴く。せっかく2枚の招待券を送ってもらいながら、友人に声をかけても喜ばれないだろう、と一人で出かけた。演奏者も曲目も初めて目にする名前だったからだ。

 その結果が、これである。昨年、初来日して大変な評価を得たというのは、演奏中にも何となく分かるような気がしたが、終わった後の聴衆の反応で納得した。うまく説明できないが、要するに皆、心から演奏を讃えているという感じなのだ。拍手している手の位置がそろって高く、よく見えたのも、そう感じた理由の一つだろうか。

 演奏が始まる前、隣席の女性に話しかけてみた。「前回は満員だったというのに、きょうはそうなりそうもないですね」。しばしば近くの席になり、顔なじみになっている方だ。お互い同じ人からチケットをもらっている。「満員だったら、私たちにチケットが回ってくることもないでしょうけど」と言われ、笑った。

 前に紹介したばかりのピアニスト、岩崎淑さんの著書「アンサンブルのよろこび」(春秋社)をまた思い出す。

 前回の演奏会が満員になったのだから、次はもっと演奏会の回数も聴衆も増えるはず。欧米の演奏家はそう期待して来日するが、逆に客が減ってがっかりする。ペーター=ルーカス・グラーフというフルート奏者は3度目に来日したときの聴衆の少なさにショックを受け、再び来ることはなかった、と書いてあった。

 「観光と同じ。一度行ったところはもういいから別のところへ行きたいというのが大方の日本人では」。隣席の女性の言葉に、その時はなるほどと思い、あとで少々考えた。

 シェプキンの演奏に心から拍手を送っていた人たちの大半は、昨年、聴いて感動した人たちなのだろうか。初来日で満員だったのが、2回目で空席が目につくというのは、観光に対する日本人の行動傾向だけでは説明がつかないのでは。自分が初めてというだけでなく、相手が来日するのも初めて。2つの条件が重なって、ようやく聴きに行こうという人が増える、と考えないと…。

 演奏の善し悪しなど結局よく分からない人間としては、またしても音楽の本質とは関係のないことに思いが振れる。

 パンフレットによるとシェプキンは来年、3回目の来日日程が決まっている。その時、聴衆の数は、果たして…。

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