朝、寝床の中から家を出るまで、ラジオを聴くのが習慣になっている。日曜の早朝はラジオ番組に適当なものがないこともあり、TBSテレビの時事放談を聴く(テレビの音声も受信できるラジオなので)。だが、なぜか今朝は別の番組に置き換わっていた。やむなく、エフエム放送の放送大学に合わせる。
ニーチェの思想がどうこうという手にあまる話だったので、適当に聞き流していたら、次が小山静子・京都大学大学院教授の「教育の社会史」という講義だった。
裁縫など家事に必要な技術を身につければよい。義務教育制度ができてからも女性が小学校に通っていたというのは統計上だけで、実際は家で子守などをやらされていた例が少なくない—。長い間、こんな扱いをされていた女性に対し、ようやく高等女学校ができた、というところまで話が進んだ。今の高校の前身が旧制中学で、それに対応して高等女学校というのがあったのは知っている。しかし、今日までなぜ女学校だけに「高等」という名がついていたかについては深く考えたことはなかった。
「女子にはそれ以上の高等教育は必要ないという意味だ」という小山教授の話に、納得!となる。その上、「高等」とは言いながら、旧制中学が5年間だったのに、高等女学校は4年がほとんど。さらに旧制中学で習う理科は、博物、物理、化学と3科目あったのに対し、片や「理科」の1科目だけだった。数学も授業時間数は少ない、などなど高等女学校の教育内容は、旧制中学に比べ相当な格差をつけられていた、ということを知る。
旧制中学、高等女学校が、学制改革によって高等学校に変わり、新制中学もできてようやく格差是正が図られたのは1948年だ。学制改革の際、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向は、明らかに男女共学だったと思われる。地域によって、新制高校のありように大きな差ができたのはなぜか。いまだに不思議だ。わが郷里は、建前は男女共学を装いながら、実質、旧制中学、高等女学校のありようを限りなく残すという道を選び、それが許されたらしい。旧制中学は一高、旧県立高等女学校は二高、旧市立高等女学校は三高に校名が変わって、一見、男女差なし。しかし実質だれが見ても男子高と女子高の区別がつくという対応だ。
時は流れ、いまやわが母校の一高も女子生徒が4割を占めるまでになっている。編集者の時代は、女性は数えるほどしかいなかった。女生徒専用の手洗いもなく、教職員用を使わせてもらう。そんな扱いをものともせず入ってきた勇敢な女性たちである。
もっとはやく男女共学を徹底させておけば、いまだに女性研究者がこんなに少ないといった事態にはならなかったのでは。そんな気がしてならない。