レビュー

編集だよりー 2008年6月15日編集だより

2008.06.15

小岩井忠道

 出逢いはいつでも 偶然の風の中…。

 「天までとどけ」(さだまさし作詞・作曲)を、思いもかけず混声合唱で聴く。旧知の田中秀男氏(栃木県合唱連盟副理事長)から招待券をいただき「立教大学グリーフェスティバル」(板橋区立文化会館ホール)に出かけた。この演奏会は伝統ある混声合唱団「立教大学グリークラブ」が毎年、開いているそうだ。現役だけでなくOB・OGが大勢、参加している。自身、OBでもある田中氏が、まずOB・OGだけから成る混声合唱団を指揮した曲の一つが、この曲だった。

 「天までとどけ」は、最後(2番の終わり)が、1番と違い1オクターブ高い音で終わる。さだまさしは苦もなくその音を出しているが、素人にはむずかしい。編集者もカラオケでだれかが歌うのを聴いたことがないが、おそらくそれが一つの理由だろう。この日の合唱でもこの個所は女性陣しか歌っていなかった。

 編曲者の松下耕という人が気になり、帰宅した後、インターネットで検索してみる。合唱曲を主とした作曲・編曲者で、いくつかの合唱団を指揮している。NHK−FMで放送中の番組「ビバ!合唱」のパーソナリティも務めているという。この日、聴いたのは「さだまさし作品集『北の国から』」の一部だった。

 ホームページのブログを読むと、自曲をニューヨークの合唱団が演奏してくれることになったのに合わせ、1週間ほどニューヨークに滞在した時のことが詳しく報告されている。

 「20年近くも会っていなかった」という親戚の家族とニューヨークで再会したくだりがある。「耕さんの仕事、羨ましいよ。だって、人から拍手をもらえるんだもの。僕みたいに、サラリーマンしてたらね、恨まれることや、妬まれることはあってもね、いい仕事を取ってきたからって、誰からも拍手をされることはない」

 世界中を飛び回って、バリバリ第一線で活躍していると尊敬していた、という親類の男性に言われ、はっとしたというのだ。「私は、もうこの何年も、いや、何十年も、拍手をもらうことに慣れていた。随分、思い上がっていたものです」。ここだけ読んでも、ずいぶん謙虚な人だと分かる。

 昔、クラシック、ポピュラーにかかわらず音楽家の経歴を書いたものの中で「マジソンスクエアガーデンの演奏会で大成功を収めた」といった記述をしばしば目にしたことを思い出す。妙な気がしたものだ。マジソンスクエアガーデンに何千人入るか知らないが、たまたまその日1日だけの演奏で、その音楽家の評価が決定的になったかのような表現っておかしくないのか、と。満員になったかどうかは、その日の出来をどうこう言う以前にチケットが売れたかどうかにすぎない。演奏家の前評判がもたらした結果だし、さもなければマネージャや企画会社の宣伝力にかかる話だろう。聴きに来る批評家の質が高いと言っても、せいぜい数十人の評価ではないのか。何をもって、大成功などと言えるのか。とまあ、小うるさいことを考えたわけだ。

 こうした思いは今でも全くなくなったわけではない。ちょっと前になるが、演奏を聴いたついでに会場で買った本にピアニスト、岩崎淑さんの「アンサンブルのよろこび」(春秋社)というのがある。この中に次のようなくだりがある。「日本の演奏会をめぐる状況には、ちょっと不思議なところがあります。演奏家が何回か来日しているうちに、だんだん聴衆が減ってしまうのです」。要するによりよい演奏を聴きたいというより、新しい人の演奏を聴きたいという欲求が勝る聴衆が多いということだ。日本では最初の演奏会でいかに熱狂的な拍手を受けても、特に外国人演奏家は真に受けてはならないということだろう。

 さて、田中秀男氏の話に戻る。批評する能力は全くないが、最後の「Miserere mei,Deus」という宗教曲も実に丁寧な指揮ぶりに見えた。数年前、「宇都宮から上京した」と急に連絡を受け、都心で飲んだことがある。「全日本合唱連盟の会議で時々朝日新聞社に来る」ということだった。連盟の事務局が、朝日新聞本社内にあるらしい。

 田中氏とは、栃木放送の報道部長を務められていたころからの付き合いである。メディア業界にもさまざまなタイプの人がいるが、最初に会ったときから業界には珍しい雰囲気の人だった。その時はまだ栃木放送に席を置いていたはずだが、退職後をにらみ、本当に好きな合唱の世界に重心をだいぶ移しつつあったということなのだろう。

 演奏会終了後、舞台裏へあいさつに行ったら、昔と変わらない柔和な笑顔で「東京で指揮できるようになったのは最近のこと」と言っていた。

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