レビュー

編集だよりー 2008年6月8日編集だより

2008.06.08

小岩井忠道

 中山道を歩く会は、いよいよ最も中山道の面影を残すといわれる妻籠(つまご)から馬籠(まごめ)へ抜ける「すべて山の中」の道となる。初日の7日、中央線須原駅に集合、十二兼駅まで11キロを歩き、再び中央線で中津川駅まで移動、ここで一泊する。適度に飲んで就寝し、翌8日、再び中央線で十二兼駅まで戻り、妻籠を目指す。この辺は中山道の難所の一つで、木曽川沿いの道も多い。リーダーが指さす河原を見ると、焼けこげて幹と枝だけになった木があり、その根元に積まれた小石の上にビール缶が数本載っていた。

 「信越放送のヘリが墜落したところ」という。右手を仰ぎ見ると木曽川を挟んで両岸に迫る山と山の間を高圧線が横切っている。ヘリ墜落の原因となった電線だ。4年前のこの事故では、若い女性記者を含む4人が亡くなっている。当時、信越放送の報道制作局長は編集者も親しくお付き合いいただいた方で、事故の責任をとり局長の職を解かれた。「送電線の所有者である電力会社に設置が義務付けられている障害防止の標識がなかった」と事故の後に会った際、言っていたが、遺族が国、放送局、電力会社などを相手取って起こした訴訟の決着はまだついていないようだ。

 事故現場付近は、大小の白い岩が河原の大半を埋め尽くしている。角が取れた大岩も多い。上流からここまで転げ落ちてくるのに何回の大水に押し流され、何年かかったものか…。東京で毎晩、飲み暮らしているとまず考えもしないようなことに思いが至る。

 「江戸まで75里、京都まで57里」と書かれた表示があった。こんな数字の組み合わせ、1の位と10の位の数字がひっくりかえっている一対の数が、なぜか気になる。そんな人間がどのくらいいるものか知らないが、これまでこういう組み合わせの距離表示には気づかなかった。しかし、実際にこれ以外ないものだろうか。この表示からすると、江戸から京都までの中山道は132里ということだから、あるとすれば…。

 山道を歩きながら頭の体操をして、全部で7個所あるはずとの答えを得た。まず江戸から39里(京都から93里)の地点、次に48里(84里)、57里(75里)、66里(66里)、75里(57里)、84里(48里)、93里(39里)、と。気の利いた子なら小学生でも解けるかもしれないが、今、当サイエンスポータルで連載中のインタビュー・滝川洋二・東京大学特任教授「望ましい理科教育は」によると、日本の子供たちの学力低下は、約20年前、1989年の学習指導要領にさかのぼるという(これに対しては、そもそも学力低下などないという意見も含め反論はあるだろうが)。

 「江戸から京都まで中山道は132里。途中江戸からab里、京都からba里(a,bはそれぞれ1から9までの整数)という地点は、中山道に何カ所あるか」。こんな問題を出したら、1989年ごろ小・中・高校生だった以下の若い世代と、それ以上の中高年・前後期高齢者世代とで正解率に差が出るだろうか。

 山道を登り妻籠宿ももうすぐというところに、妻籠城の跡があった。ここからはるか下方に眺める妻籠宿の町並みがなんとも心地よい。「日本人だなあ」という感じである。中山道というのが起伏の激しい街道だというのを重ねて実感させられた眺めでもあった。

 昔のたたずまいを見事に保存している妻籠宿で生ビール、ざるそば、そばがきという昼食をとり、約30人ほどの仲間と別れる。皆は妻籠の旅館でもう1泊だが、編集者は仕事を持つ身である。いつもなら3日目はパスして帰ってきてしまうのだが、今回は、馬籠に向かう翌日の行程もこの日のうちに消化して、帰京することにした。

 妻籠−馬籠間もこれまた「すべて山の中」の道で、なかなかのものだった。実は、妻籠も馬籠も数年前に来たことがある。しかし、車やバスで来て見学しただけだから、両宿場間を歩くのは初めてだ。島崎藤村の「夜明け前」には、当時、ここを通過した水戸・天狗党一行が非常に好意的に描かれている。滝沢修が主人公、青山半蔵(藤村の父がモデル)を演じた映画(1953年、吉村公三郎監督)でも、ちょっとだけ、天狗党の行列が出てきた。

 馬籠峠までの上りも結構急だったが、峠から馬籠宿まで急な下り道が延々と続くのに驚く。妻籠と馬籠の間が大変な道であるのを実感する。そういえば、映画「夜明け前」でも宇野重吉らが扮(ふん)する運送業者が、報酬の安さに抗議してストライキを起こす場面があったのを思い出す。この人々は馬籠峠寄りの坂の上の方に住んでいたと道路脇の表示で初めて知った。坂の上の方に何軒かの家があったが、そこだろうか。

 たった2日間だが、歩いた距離は合計30キロ。石油などなかった江戸時代の人々の苦労の一端くらいは味わえただろうか。名古屋からの新幹線の中、日本酒とさば寿司でのどと腹を潤しながら、しばし心地よい疲労感に浸った。

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