女性の16人に1人が出産(に伴う合併症)で死ぬ、と聞いて驚く。第1回野口英世アフリカ賞を受賞したミリアム・ウェレ博士が講演(29日、国連大学)の中でサハラ砂漠以南のアフリカの現状を示す数字として紹介していた(6月2日レビュー「野口英世アフリカ賞受賞者に教えられたこと」参照)。WHO(世界保健機関)、UNICEF(国連児童基金)といった組織のデータに基づいているということだから、関係者には周知の数字なのだろう。
それにしても、先進国では2,800人に1人しか、出産に伴う合併症で亡くなる不幸な女性はいないという。死亡の危険が16人に1人という治療など先進国では成り立たないはずだし、子供を作るという行為がこの地域の女性にとっては文字通り命がけだというのがよく分かる。
同じ29日の日経新聞夕刊に生物学者、長谷川眞理子・総合研究大学院大学教授のインタビュー記事が載っていた。見出しは「少子化は止まらない」である。
動物のメスは繁殖期間が終了するとほとんどは死んでしまい、人間だけが例外だそうだ。「なぜ人間だけにおばあさんが存在するか。これを説明する有力な仮説が、祖母が自分の経験を生かして娘の子育てに協力することで、人類の繁殖力が高まったという説。…少子化はおばあさんを含め、親族や地域の人がみんなで子どもを育てる『共同繁殖体制』が核家族化で崩れてしまったことが大きい」
この仮説は面白いが「鶏が先か、卵が先か」という、子どものころ大いに悩まされた難問を思い出す。女性が若死にはいやだと長生きするように努めた結果、何もしないのはまずいと、孫の面倒も一生懸命見た。それによって、娘も安心して子どもを産めるようになり繁殖率が高まった、のか。それともヒトの子どもは大昔から手がかかるようにできており、母親だけでは面倒見切れないため、祖母がやむをえず世話を焼くうち、結果的に女性全体が長生きするようになったのか。
さて、このなぞなぞはともかく、長谷川教授の全体の結論は「子育ては大変という(女性の)不安感を和らげないと少子化は止まらない」ということだ。専業主婦などという立場の女性が現れたのは、人類の歴史の中でも最近のことで、女性も男性同様、ずっと相当な労働を受け持ちながら同時に子育てをしていた。にもかかわらず子育ての負担は、今の日本で急激に大きくなってしまっているという。電気洗濯機その他の便利な道具も、この負担の増大を到底、埋め合わせることなどできないということらしい。
ケニア人の女性であるウェレ博士は、パネルディスカッションの中で「10人の子どもがいる」ことを明らかにしている。アフリカの医療サービスの向上、健康と福祉の増進には、コミュニティの役割が大きく、特に女性にかかわってもらうことが重要だ、と強調していた。家を切り盛りしているのは女性だからということである。
アフリカで長年、マラリアをはじめとする感染症の研究と人材育成に尽力したもう一人の野口英世アフリカ賞の受賞者、グリーンウッド博士(英国人)も「アフリカの女性を尊敬している。アフリカでは男性が農業をし、女性が家族、家のことは切り回している。実際、いろいろなことをまとめているのは女性だ」と女性の役割の大きさを指摘していた。
アフリカの女性は、妻、母となって強くなるのか、もとからしっかりしているのか、命がけで子供を産んだ後に、大変な子育てが待っているという不安感は持っていないのだろうか。残念ながら両博士の話からはわからなかった。