レビュー

編集だよりー 2008年4月27日編集だより

2008.04.27

小岩井忠道

 朝方の雨も上がり、好天気の日中、大田区の洗足池に出かけた。池に隣接するグランドで孫娘が出るソフトボールの試合があったからだ。金網のフェンスで囲われた小学生には十分すぎるグランドがある。住宅地の真ん中によくこんなスペースが残っていたものだ、と感心した。

 周辺に住む小学生の野球、ソフトボールチームによる春のリーグ戦が始まっている。男子の野球の方は、高学年からA、B、C、Dさらに2年生以下のE(教育)リーグまであるという賑やかさだが、女子は2チームしかないので、対抗戦ということだ。

 遊びみたいなものだろうと思っていたら、これがとんだ見込み違いだった。双方、最も運動能力の高い子が投手になっているようで、どちらも相当、速い球を投げる。コントロールもよく、5回で試合終了になるまで、四球もほとんどない。特に先方の投手の球は相当速く、小柄な子どもたちは顔の高さのボールなども相当空振りさせられていた。

 好試合の結果、4対2という立派なスコアで相手チームの勝利となった。双方ともミスが少ないのにも感心する。結局、振り逃げに対する捕手の一塁送球がわずかにそれる間に一塁走者が生還、打者も3塁まで進み、次の打者の投ゴロの間にホームイン。これが決勝点になった。この際、1塁手のカバーが遅れた右翼手に向かってコーチが大声で怒鳴っていたのにも感心する。子供が先生にしかられると学校に怒鳴り込んでくるような親も少なくないと聞く昨今、真剣に怒るコーチも偉いし、怒鳴られてそれほど落ち込んだようにも見えない女の子も頼もしい。

 よせばよいのに編集者まで試合後、孫娘にえらそうに言ってしまった。「あの打ち方では当たってもボールの強さに負けてしまう。腰を先に回転するつもりでバットを振らないと」。しかし、こんな一言で急に打てるようになるくらいなら、スポーツ選手に練習はいらない。理屈だけでうまくなれたら、スポーツはスポーツでなくなってしまうだろう。

 学校教育の一環として行われているわけではないので、当然、ボランティア精神に富む人が大勢いなければ、こうした催しは成り立たない。娘の夫も含め、面倒を見ている親の皆さんも大変である。大会の審判もそれぞれのチームのコーチである親の役目で、大会前には審判講習会まで開いたそうだ。

 今日の試合は、娘一家だけでなく、孫娘の同級生2人も親子で応援に来てくれていた。昔の日本では考えられなかった光景では、とあらためて思う。野球は小学生で卒業し、中学、高校時代はバスケットボールの部活動に熱中。そんな編集者に、親が子どもの試合を応援するといった場面に出くわした記憶はない。「そんな恥ずかしいことはやめてほしい」。仮に親が行きたいなどと言っても、断る子どもたちばかりではなかっただろうか。よく言えば親離れが早い子が多かった、ということかもしれないし、単に子の試合を見に来るような余裕のある親などほとんどいなかったということでしかないかもしれない。

 学校外で地域の子どもたちの面倒を見るというボランティア精神に富む親が、昔より今の方がはるかに多いのは、日本の社会が成熟している証拠だろう。

 一方、些細なことで学校の先生に文句をつけるような親も増えているというのは、どう考えるべきなのだろう。「そんな恥ずかしいことはやめてくれ」。昔の子どもなら必死に親に頼んだのではないか、という気がする。そうも言えない子どもたちが増えているのだろうと想像すると、その子どもたちに同情したくなる。

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