レビュー

編集だよりー 2008年4月9日編集だより

2008.04.09

小岩井忠道

 学生の時は深く考えたこともなかったのだが、一般(教養)科目を教える教官と専門科目を教える教官とでは、何か差があるということはうすうす気づいていたような気がする。

 後年、名古屋大学理学部のある教授と、入試の在り方について話をしたことがある。30年近くたつが、教授は当時、既に大学が理系の優秀な学生を採りにくくなっていると危機感を抱いていた。入試法を変えないと、理系に向いている学生を取り損ね、理系に向いていない学生を採ってしまう恐れがあるという心配だ。「成績がいいだけで医学部に入ってきたような学生が多い」。最近、友人の医師に聞いたことがある。医学部、理学部の違いはあっても、この教授の危機意識は的を射たものだったのでは、と思う。

 さて、教授が学内で主張して、試行的ではあるが取り入れられることになった新しい選抜の仕組みというのは、確か面接の採用であった。

 そこまでたどり着くには相当、てこずったという。よく覚えている教授の言葉がある。「新しい試みに最も抵抗したのが教養部の教官だった」というのだ。総合大学では、大学入試問題の作成に、教養(学)部の先生たちが大いにかかわっていたらしい(いまでもそうか?)。この「重要な仕事」を軽視されたと感じたのが反発の理由、というのが教授の解説だった。

 よく知られているように帝国大学は、旧制高校と合体して新制の4年生大学となった。元々、旧制高校だった教養部の先生方の複雑な思いが反発の根底にあるということだった。

 榎木英介氏(NPO法人サイエンス・コミュニケーション 代表理事)のeditorialを引用させていただいた4月1日付レビュー「博士号取得者は中等教育を変えられるか」を、今度は榎木氏に新しいeditorial 「- 博士は「王道」を歩めるか…」で引用していただいた。ウェブでの情報発信は、このようにキャッチボールのようでなければ面白くない。発信しっぱなしの一方通行なら、オールドメディアとあまり変わりがないからだ。

 榎木氏と編集者の認識は共通するところが多いのでは、と感じた。日本社会の多くの分野で指導的立場を占めているのは、圧倒的に文科系が多く、理工系出身者、とりわけ博士課程修了者の大半は、今のままでは日本社会で主導的な役割を果たせそうもない、という思いである。

 政治、経済、行政といったところで起きている動きは、人間の生活リズムと時間の物差しがほとんど変わりがない。これが決定的な要因ではないか、と編集者は考える。例えば役所や企業の活動は1年とか2年でそれなりの結果が出る話が多く、これにかかわった人たちは何となく汗をかいたように見える。これに対し、科学や技術の世界は、時間の物差しが長い。例えば1年や2年で成果が上がりそうな研究なら、既にだれかがやってしまっているはずだ。同じ舞台で比較されるには、最初から、競争条件が違いすぎると言えないだろうか。

 実際にあるエネルギー会社の副社長まで勤め上げた技術系の方に聞いたことがある。

 企業では、どうしても文科系出身者が優遇される。仮に技術系社員が、その社の命運がかかったような大きなプロジェクトで相当な貢献をしても、短期間でそれなりの成果を挙げた文科系社員の方がどうしても高い評価を受けがち、というのだ。

 14年ほど前、日本IBM科学賞の授賞式で特別講演した物理学者、和達三樹・東京大学教授(当時)が、次のように言っていたのを思い出す。

 「高校で早々と理工系、文科系志望に分けられ、理工系に進むとすぐにさらに狭い専門の選択を迫られる。これでは有能な若者をつぶしてしまっていないか」

 このままでは理工系志望の有能な若者は減るばかり、という危機意識は、冒頭に紹介した名古屋大学理学部教授と同じである。

 大学を昔のように旧制高校と大学に戻すと言ったら、だれもまともにしないだろうが、大学は教養学部だけにして幅広い分野を学ばせ、大学院に進むときに専門を選ばせればどうだろう。いま理工系の博士課程修了者に対して企業などから言われているような批判の相当な部分は、なくなるのではないだろうか。

 今の大学制度ができたのは、人生50年の時代である。80年に人生の物差しが伸びた時代に、同じ制度を大事に守り続けることなどないようにも思えるのだが。

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