レビュー

編集だよりー 2008年4月3日編集だより

2008.04.03

小岩井忠道

 先週の木曜日に銀座の博品館劇場で三遊亭白鳥の落語独演会を聴いた。その後、自宅近くの図書館でたくさん借りてきた落語のCDをせっせと聴いている。

 三遊亭白鳥は、新作落語で前に大笑いしたことがある三遊亭円丈の弟子で、こちらも新作派だと新聞で読んだばかりである。しかし、27日は「江戸ネタ」と銘打った会だった。「皆さん今日はお気の毒です。私が一番苦手な古典を聴かされるなんて」。パンフレットにもこの日何を話すのか書いていない。2番目の噺は前にテレビで聴いたことがある噺で古典であるのはすぐ分かった。しかし、どうも似て非なる。そんな感じを抱かされたまま終わってしまった。

 「おはぎの次にうまい」。最後のオチも覚えがなくポカンとしていたら、連れが「萩(おはぎ)と月(次)をかけている」。妙なことに詳しい高校の後輩だ。

 後半も、聴いたことがあるようなないような、という気分で笑わされているうち、最後に「明烏の一席で」。こちらも、ウームである。

 これらの古典が、どのくらい“改ざん”されていたものか。それを確かめてやろうというのが、図書館で落語のCDを何枚も借りた目的でもある。初めの方は、確か入船亭扇橋で聴いたことがあると思って探したら、運良く目指すCDがあり、「ねずみ」だったと知る。30年前の録音だから、テレビで聴いたときとは声もだいぶ若々しい。しかし、中身は同じだ。性悪の後家に代々続いた宿屋を乗っ取られてしまった父親とその息子、そこに客として泊まる羽目になる左甚五郎も皆、ほのぼのとした味が出ている。ところが、白鳥の方は、皆が皆えらく威勢がよい。甚五郎も名人彫り師というより、鳶頭のようだ。

 向かいの宿にでかいトラの彫り物が飾られたため、怖くて動けなくなってしまったネズミ(甚五郎が彫った)が言うオチ「ネコだと思った」。入船亭扇橋はちゃんとそこで終えている。ところが白鳥はどうか。彫り物のトラが向かいから降りてきて、彫り物のネズミをつかまえようとたらいの中のグルグル追い回しているうちに、溶けて黄色い粘着物と化してしまう。それで「ねずみ屋」の父親がまんじゅうをつくったら、息子がうまいと言って食べる。とまあ、はちゃめちゃな展開だ。

 「おはぎ(萩)のつぎ(月)にうまい」という新たなオチは、溶けたトラからつくったまんじゅうを食べた息子の言葉である。

 最後の演目「明烏」はさらに破天荒だ。本来の噺は、いい年になっても全く遊びを知らない堅物の息子が主人公である。心配した父親が、町内の遊び人2人にだまされて吉原に出かける息子を喜んで送り出す。この設定がまるで逆になっている。実は息子は元々遊び人なのに堅物を演じており、だましたつもりの遊び人2人の方がだまされ、これまたそうとは知らない吉原の女性軍が面白がって、遊び人とグルで一芝居打つが…とこれまた換骨奪胎、あっと驚くお色直しぶりだった。

 映画「靖国」の上映中止が尾を引いている。東京新聞の夕刊に「13館で上映予定」という記事が載っていた。ことが起こりそうだと早々と自粛してしまう。昨今の不気味な世の動きが気になる人は多いのではないだろうか。騒ぎのきっかけは、国会議員向けに行われた試写会だったようだが、当の国会議員の方が余波の大きさにとまどっているのではないか、という気がするくらいだ。

 「明烏」も、太平洋戦争の始まる前年、昭和15(1940年)に落語家自身が、時局にふさわしくない演題として上演を自粛した53の噺のうちの一つである。「禁演落語」(小島貞二編著、ちくま文庫)によると「童貞を吉原に連れ込むあたり、戦時中は言語道断とされたのであろう」と書かれている。三遊亭白鳥版ならどうだったろう。

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