レビュー

編集だよりー 2008年3月22日編集だより

2008.03.22

小岩井忠道

 ぽかぽか日和の一日、浅草・雷門の「茶寮一松」で、「春を味わう」贅沢な楽しみに浸った。テレビドラマの撮影場所などにもよく使われるという昔の造りの店である。

 畳部屋に座り、「花見の仇討ち」という桂扇生さんの落語に笑い、西松布咏さんの唄と三味線の世界に浸った後、桜をテーマにしたという花会席膳を楽しむ。この催しの主催者とは何のつながりもないが、西松さんに誘われて、旧友、軍司達男氏(NHKエデュケーショナル社長、当サイエンスポータルの編集アドバイザー)と参加した次第だ。

 「この会費では、おそらく出演者のギャラに回る分もそれほどは…」。帰り道、軍司氏と話す。

 西松布咏さんは、西松流家元で地唄(上方の芸)の芸歴が一番長い。しかし、地唄にとどまらず、小唄、富本節、端唄、俗曲、新内と芸域がおそろしく広いところが、多くの邦楽家との大きな違いらしい。この日は「江戸の唄」と題し、浅草に縁の深い「並木駒形」「薄雲太夫」といった小唄をはじめ、端唄、新内小唄6曲を聴かせてもらった。地唄は、ゆったりしているのが特徴、と最近ようやく分かった。鑑賞力に加えて、聴力まで問題を抱えた編集者のような人間には、言葉を聴き取るのが難儀だ。「小唄」や「端唄」は、時々、分かるところがあるから初心者向き、と感じた。テンポや音程が普通の話し言葉に近いからだろうか。

 尾崎紅葉の作詞という小唄「とめても帰る」は、演奏の前に西松さん自身の短い説明がついたこともあり、内容もおおよそ見当がついた。吉原へ出かけたら、目当ての女性が別の客の相手をしているのであきらめて帰る、という話だそうだ。

 帰途、三越に寄って福井県小浜の珍味「小鯛ささ漬」を買い、それを肴に帰宅後、飲み直す。

 「黒髪の結ぼれたる思ひをば……積もると知らで積もる白雪」。CDで、昼間聴けなかった西松さんの地唄「黒髪」などを聴いているうち、ふと思いついたことがある。邦楽と洋楽で明らかに違うと思われるのは、終わり方ではないか、と。西松さんの唄は、すべて「スーッ…」と終わる。最初のころは曲が終わったのかどうかが皆目、分からなかったものだ。いまでも、拍手はだれかが始めるまでやらない、と決めているが。

 邦楽の終わり方は、ほとんどがフェードアウトのようだ。場面が少しずつ暗くなって最後に消える映画や演劇の技法を思わせる。これに対し、洋楽の終わり方は、フェードインではないだろうか。場面が少しずつ明るくなって、特に最後は派手にパーッとはじける打ち上げ花火みたいな。

 一人合点し、この際、洋楽の方の「春」も聴いてやれ、とCDを取り替えた。こちらもきれいな旋律が心地よい。しかし、バイオリンとピアノだけの曲でも、終わり方はやはりフェードイン型だ。

 洋楽の終わりとかけて、なんと解く。グローバリズムと解く。

 押しつけがましい。

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