毎年、この時期、大手町のサンケイプラザで開かれる高校の首都圏地区同窓の集いに出た。地元でも毎年、同窓会総会が開かれるが、参加者は常に支部に過ぎない東京の方が多い。
毎回、同窓生の中から講師を選んで講演をしてもらっている。今回は日銀に勤めながら路面電車についての研究も続けている宇都宮浄人氏が講師だった。路面電車の利用推進を目指す実験が広島市内で始まった、というニュースを出したばかりである(2008年2月13日ニュース「路面電車見直しへ実証実験」)。自家用車優先の社会から公共輸送機関見直しへの転換が進みつつあるという話は、興味深い。
車社会がもたらした味気なさは都会より、むしろ地方に顕著ではないだろうか。親しかった人やその家族の不幸で郷里に帰ることはしばしばあるが、町の中心部から遠く離れた斎場で葬儀が行われることが多い。高校の同級生である橋本昌・茨城県知事の父上がなくなったときも、昔、射爆場があった場所に作られた斎場だった。最寄りのJR駅から相当離れている。この時は、東京から一緒に行った同級生のゼネコン役員が手配した支社の車に便乗し、帰りの特急の中でも2人で一杯やりながら帰京したので、寂しいことはなかった。
高校の運動部で世話になった先輩の通夜の時も、やはり郊外の大きな斎場である。会場で多くの先輩、同級生、後輩などと顔を合わせたが、焼香が済むと皆「それじゃあ」と三々五々、いや一人一人、自分の車で帰ってしまう。東京なら「それじゃあ、どこかで一杯やろうか、故人の思い出でも語り合いながら」となるところなのに。
頼めばだれでも駅まで送ってくれたのだが、斎場のある付近は、太平洋戦争が終わった直後、ほんの数年間、住んだことがある辺りだ。近くに食肉解体場があった。しばしば家のそばの小さな川に真っ赤な水が流れていたなあ。きょろきょろ眺めながら最寄りのJR駅まで4、50分歩いたが、幼少時の記憶がよみがえるような風景には全く出会わなかった。
さて、路面電車の講演である。日本ではまだ、富山市など成功例は限られているようだ。しかし、従来とは発想を変えたLRT(ライトレールトランジット)と呼ばれる新しいタイプの路面電車が、欧米などでは復活しているという。写真を見ると車体も含め、昔の路面電車とは趣が違う。町にとけ込んでいるように見える。高齢者、身障者なども利用しやすい輸送機関になっているという。
かつて路面電車が次々に撤去されたのは、自動車による交通混雑の解消という大義名分があったと思っていたが、宇都宮氏によると、撤去されて交通渋滞が解消されたという例はない。自動車に対する潜在需要を高めただけという。LRTを導入した都市は、むしろマイカーによる渋滞が緩和され、それまで移動を控えていた人が都市の中心部や沿線に出かけるようになっているということだった。エネルギー効率、二酸化炭素排出など環境への負荷という観点からも自動車よりLRTの方がよい、というのは宇都宮氏に教えられるまでもない。唯一、問題になりそうなコストも、都市に必要な施設、と発想を変えれば済む。「歩く歩道やエスカレーターは金など取らない」というわけだ。
昔、路面電車が走っていた郷里の水戸市にLRTを走らせたら…。氏がLRTを現実の町並みにかぶせた合成写真を示したところ、拍手喝采だった。
同窓会で久しぶりに顔を合わせた同級生に、実家が創業100年を超す老舗和菓子の長男がいた。ここの自慢の菓子を知り合いに送ったら「こんなうまい『水戸の梅』は食べたことがないと」褒められたことがある。この友人は、店を弟に継がせてゼネコンに勤めているが、当然、就職に際しては家族で一論争があった。「まあ、餡(あん)もコンクリートもこねるのは同じだし」。父親がそう言ってあきらめた、と聞いて笑ったことがある。
ご多分に漏れず水戸市の商店街も昔のような賑わいはなくなり、この同級生によると「商店街に創業100年を超す店が昔は7店あったのが今や3店になってしまった」という。同窓会にはいつも顔を出す橋本知事が今年は欠席だったので、2人で笑った。「今日の講演は知事に聴かせたかったなあ」