自転車操業のような編集作業を日々続けている身で、人様のサイトにあれこれ言うなどおこがましい、と思いつつ、産業技術総合研究所の広報評価委員会に出席した。
広報評価委員の役目は、半年に1度開かれる委員会に出席し、広報活動全般について意見を述べることだ。産総研のプレスリリースは質量ともに豊富で、定期刊行物ともども、当サイトのニュース欄などでしばしば利用させてもらっている。しかし、出前講座やサイエンスカフェその他さまざまな催しについての活動まで把握しているわけではない。報道機関を対象とする狭い意味での広報活動に限って、感想を述べるだけで勘弁してもらっている。
今回も「プレスリリースにもっとよい写真をつけたほうがよい」と前回と同じことを言った。これは多分、簡単に対応できるような注文ではない。「外部からも写真についてはうるさく言われている」。広報担当者が、プレスリリースに付ける写真を研究者に要求する際、なにがしかの効果が期待できるかもしれない「外圧」の一つとして利用してもらえれば、と慮ってのことだ。
公的な金を使う以上、一般国民に向けて研究内容を分かりやすく説明する義務がある。そう考える研究者ばかりだと、広報担当者の苦労も相当軽減されるだろう。しかし、現実はどうか。研究成果を公表する際、とにかく普通の人が読んでも分かるような文章で研究者にプレスリリースの原文を書いてもらう。まず、この作業で各研究開発機関の広報担当者は、えらい苦労を強いられているのではないだろうか。
「文章であれこれ言われた上に、見栄えのよい写真まで用意しろと言うのか」。広報担当者に向けた研究者の怒りの声が聞こえてきそうだ。
考えてみると、新聞の世界でも写真の地位が高くなったのは、そんなに古い話ではないように思う。記事あっての写真、という考え方が長い間続いていたように見える。一方、取材相手から提供された写真では、ほかの社と同じになってしまうから、できるだけ自前の写真を使いたいという思いも、依然として新聞社や通信社の編集現場には強い。
広報評価委員会では、報道機関出身者としてそんな“解説”をひとくさり披瀝した上で、「写真に対し、厳しい要求がないとしても、これまで通り写真を重視しなくてよいということではない」ことを力説した。ずらりと並んだ産総研の広報担当者からは、これぞという反応はなかったが、まあ、あと1、2回同じ注文を広報評価委員会の場で繰り返したら少しは効果があるだろう、と期待することにする。
会議を終えて「つくばエキスプレス」で帰京する際、餌取章男氏と久しぶりに話し込んだ。科学ジャーナリストの大先輩で、産総研の広報アドバイザーの任にある。
「サイエンスコミュニケーターを養成しようという動きが急に出てきたが、大学でせっかく勉強しても就職先がそんなにあるだろうか?」
餌取氏の心配に同調する。新聞、放送、通信社といった伝統的なマスコミ業界の規模というのは、世間一般が漠然と考えているより、はるかに小さい。雇用能力など日本全体の産業構造から見ると高が知れている。サイエンスコミュニケーターになるための教育、訓練を受けた人たちは、マスメディアより、広報をする側が積極的に受け入れない限り、活躍の場を探すのに苦労するのではないだろうか。
昔、炉心溶融事故を起こしたスリーマイルアイランド原子力発電所を事故の何年か後に取材したことがある。発電所内の案内をはじめ、付きっきりで応対してくれた女性の名刺を見たら副社長と書いてあった。そんなに偉い人でなくてもいいのに、と思ったものだ。
しかし、こんなことは別に驚くよう話ではない、と後でだんだん分かった。米国の場合、公的機関、企業を問わず広報部門にマスコミ出身者がいるのは普通のことらしい。スリーマイルアイランド原子力発電所で世話になった女性副社長も記者経験者だった。