暖房をしていないとはいえ、布団の中でどうも寒いと感じたら、朝から雪である。この1週間というもの土曜の夜まで連日飲み続けたし、きょうは、伊藤正男・理化学研究所脳科学総合研究センター特別顧問のインタビュー記事の続きを仕上げようか、という気になった。次の回には、日本将棋連盟の協力を得て、プロ棋士の脳の働きを解明する研究の話が出てくる。書き始めてから、NHKで将棋対局が放映中であることを思い出した。そろそろ終盤にかかるころと見計らい作業を中断、テレビ観戦に切り替える。
この番組は、昔、よく見たものだ。倉島竹二郎氏が毎回のように聞き手として出演し、升田幸三氏などが対局だけでなく解説者としてもしばしば登場していたころである。
ある時から出場者が倍増し、隔週放映だったのが毎週になった。見る機会が増えたのはよいのだが、A級棋士が、よく知らないB級以下の棋士に早々と負けてしまうことがよくある。人気棋士同士の戦いが逆に減ってしまったような気がして、いつからかとんと見なくなってしまった。この日の対戦は準々決勝だったが、羽生善治王将を負かした長沼洋7段も初めて知る棋士だ。
将棋を新聞の将棋欄で楽しむのと、テレビ放映で見るのとでは大きな違いがあるような気がする。プロの将棋は素人が見たら最後までどちらが優勢かなど分からない方が多いのではないだろうか。しかし、新聞の観戦記者は、対局に立ち会い、さらに他のプロ棋士にも取材した上で書くせいだろうか、連載の最終回まで読まなくてもどちらが勝ったか何となく分かる記事が多いように思う。テレビの場合、だいたいは一手指した方がよく見えて、結局ぎりぎりまでどちらが勝つのか分からない。途中の局面で早々と「こちらの勝ち」などと断定してしまう無粋な解説者もあまりいないから、下手な素人はこちらの方が断然面白い、と思ったものだ。
脳の研究になぜプロ棋士の協力が必要かについては、来週掲載の記事に譲るとして、伊藤氏の話は分かりやすい。コンピュータはあらゆる可能性をしらみつぶしにチェックするのに対し、棋士はそんな非効率な思考法はとっていないはず、というのだ。確かに棋士の読みが、テレビの走査線みたいに隅から隅へ等間隔、同じ密度でという機械的、無機的なものでは面白くない。深い経験に基づき、これは無理筋、あるいは“下品な”筋などとして一目で捨て去り、考えるエネルギーを真に必要なところに集中する。その結果、あっと驚くような手も出てくる。こうこなくちゃ…。
「雀刺し」という名前からして露骨で直線的な印象を与える戦法がある。アマチュアならともかく、プロには素人くさくてとても使えない戦法とみられていたらしい。プロの将棋にも現れるようになったのは、升田幸三氏が実戦で使い始めてから、と何かで読んだことがある。
読売新聞に最近まで連載されていた米長邦雄・日本将棋連盟会長のインタビュー記事を読むと、米長会長の大きな課題は、将棋ファンの減少を食い止めること、とりわけ子供たちに将棋を普及することにあるようだった。縁側に将棋盤を置いて、ああでもないこうでもない、と子どもたちがない知恵を絞る。編集者たちの時代には当たり前だったこんな光景を再び見ることができるようになるのだろうか。
ゲームソフトで遊ぶのも面白い。しかし、自分の頭だけを使って新しい戦法を考え出したりするのもまた楽しいこと。人間の脳というのは、まだまだコンピュータがなしえないような巧みな機能と可能性を持っているのだから。
だれかがそう教えないといけないということだろうか。