レビュー

編集だよりー 2008年1月18日編集だより

2008.01.18

小岩井忠道

 フランク馬場氏の訃報がいくつかの新聞朝刊に載っていた。カリフォルニア州に住んでいたのだ、と知る。

 フランク馬場氏については、全く同じ名前の人物が井上やすしの劇に出ていたことを覚えている人が相当いるのではないだろうか。舞台は見てないが批評は読んだ記憶があったので、両氏の名前で検索したところ、「私はだれでしょう」という劇だと分かった。実際に馬場氏をモデルにしたらしいということも初めて知る。役柄は本物同様、日系2世のGHQ(連合国軍総司令部)民間情報局ラジオ担当官である。話は、終戦直後、昭和21(1946)年のNHKラジオ番組製作現場が舞台で、劇中のフランク馬場は32歳。訃報によるとご本人は93歳だったから、逆算すると劇中人物の年齢とピタリ合う。

 「皆、どんな番組つくったらよいか分からないので、米国の番組からいろいろ教えてやったね。『二十の扉』や『話の泉』など」。昔、ご本人から直接、聞いたことがある。「なんだ。NHKの人気番組も米国のまねばかりだったのか」。当時、えらい発見をしたような気分で聞いたことを思い出す。

 あらためてWikipediaで引いてみると、「二十の扉」は「1947年から60年に放送され、米国のクイズ番組「Twenty Questions(二十の質問)をモデルに製作された」とある。「話の泉」も、46年から64年まで放送され、米国の「バラエティ番組『information please(インフォメーション・プリーズ)』をヒントに生まれた」と書いてある。実際は、モデルやヒントというより、ほとんど馬場氏から教えてもらったのだろう。

 馬場氏のお世話になったのは、30年近く前のことだ。スペースシャトルがいよいよ来年に初飛行するということで(実際には1年遅れた)、事前取材を命じられた。米国の宇宙開発の拠点は、全土に散らばっている。これじゃ、非効率では、と思ったものだが、別の機会に巨大加速器のあるイリノイ州のフェルミ国立加速器研究所を訪ねたとき、驚きしかし大いに合点したものだ。

 「どこに建設するかもめたけれど、上院の大物議員(後に大統領)、ジョンソンの地元、テキサス州に有人宇宙飛行センター(現・ジョンソン宇宙センター)を建設する代わりに、下院の大物議員(名前は失念)の地元に加速器センターを造ることになった」ということだった。

 というわけで、事前取材はスペースシャトルの開発にかかわる米各地のNASAその他の国立機関や宇宙航空企業を訪ねることになる。当初、予定していなかったが、帰途、ハワイ島に寄り、日系宇宙飛行士オニヅカ氏(1986年のコロンビア爆発事故で死亡)の母上にまで会ってきた。信心深い浄土真宗の宗徒だったのを、よく覚えている。

 初めて訪れる米国でまず最初に訪ねたのが、当時、米国務省の対外プレスセンターに勤務していた馬場氏だった。さほど高級とも言えない日本のウイスキーをおみやげに持参したら、本当にうれしそうな顔をされたのを思い出す。氏には結局、各研究開発機関、企業への取材アレンジばかりか、ホテルさらに各地で通訳兼運転手まで手当てしてもらうことになる。英語もできなければ、運転免許もない。そのうえクレジットカードも持たない人間など、いまどきマスメディアに就職することすらできないだろう。何ともよい時代によい組織に採ってもらったというほかない。

 馬場氏の訃報を伝える新聞各紙のトップニュースは、NHKの記者やディレクターによるインサイダー取引の不祥事であった。編集者のような記者不適格者を報道機関が排除するのは入社試験を工夫すれば十分可能だろうし、採用してしまった後で鍛え直すことも不可能ではないかもしれない。しかし、今回のような不始末を起こす人間をなくすことはよほど難しいのではないだろうか。金銭感覚が首をかしげるような人を入社試験ですべて排除するのは、恐ろしく困難だろうし、身についた金銭感覚というのは、大人になってからは多分、変えようがないように思えるからだ。

ページトップへ