レビュー

編集だよりー 2008年1月12日編集だより

2008.01.12

小岩井忠道

 最新の重要な、そのうえ面白い知見や学術情報を得る最も手っ取り早い方法は何か。日本学術会議主催のシンポジウムをこまめに傍聴することではないだろうか。同会議主催の公開講演会「人口とジェンダー〜少子化対策は可能か〜を聞いて、また感じた。

 日本学術会議は、2005年に大きな組織の改編が行われ、会員の選出方法も変わったようだが、おそらく活動もだいぶ活発化したのではないかと思われる。シンポジウムのテーマの選び方、講演者、パネリストの顔ぶれなどを見ても、相当な意気込みが感じられるからだ。編集者が通信社で記者をしていたころは、そもそも日本学術会議にほとんど関心など向かなかったのを思い出す。社会に対する発信力がなんとも貧弱、としか見えなかったからだ。仕事熱心でなかっただけかもしれないが…。

 この日の公開講演会は、まずこの分野でそれぞれ活躍中の女性研究者の講演が続いた。「科学史からみた『産む性』」、「ナチズムと人口管理」、「資源化される身体」、「グローバル化する東アジアの低出生率」、「少子化対策の今」。テーマの付け方もストレートである。

 科学史家である小川眞理子・三重大学人文学部教授(日本学術会議連携会員)の講演「科学史からみた『産む性』」には、何度も笑わされた。われわれ人類を含む哺乳類とは、乳を飲むという意味からついた名前とばかり思っていた。ところが、もともとはかのリンネが最初の命名者で、Mammaliaという名前は「乳房の」という意味なのだそうだ。小川教授によると、当時、この名前は、女性に対する強力なメッセージを内包しており、それは「動物も人間も女性が母乳で子育てをすることが、どれほど自然なことかを強調することによって、ヨーロッパ社会の再構築を正当化」するものだったというのである。

 当時、18世紀後半の欧州は、乳母制度が一般的になっており、子供を自分で養育せず、金で雇った女性に預ける母親が多かった。パリやロンドンでは、生後間もない赤ん坊の9割もがいなかの乳母に預けられた、というから驚く。その結果として乳児の死亡率は高く、さらに女性たちは子供自体をつくろうとしなくなった、というのである。

 リンネが名付けたMammalia(乳房の)という名称に込められたメッセージというのは、「女は子産み子育てに専念せよ!」だったというわけだ。

 19世紀後半には、E.H.クラークという米ハーバード大学医学部教授が「出産のための器官が発達する思春期に女子は頭を酷使すべきでない」と主張したという。エネルギー保存則を持ち出して、男も女も使えるエネルギーは同じなのだから、出産という大事な役割がある女性は高等教育のようなところにエネルギーを使うべきでない、という“大胆な”主張である。当然、多くの反論を浴びたが、著書は13年間で17版を重ねるという驚異的な売れ行きだったそうだ。

 あれこれ「科学言説」をろうして「女性は産む性」を強調してきた歴史的事例が、すなわち少子化傾向というものが普通の姿であることの証拠でもある、というのが小川教授の結論であった。女性に少しでも多くの子供を産んでもらうためには、相当に思い切った対策を取らない限り効果は期待できない、ということだろう。

 ほかの論者の講演、これら講演者たちによるパネルディスカッションも刺激的で、触発されるものばかりである。パネルディスカッションの司会を務めた上野千鶴子・東京大学大学院教授(日本学術会議会員)が言っていた。「これだけの顔ぶれを集めた講演会というのはそうない」

 いま、日本学術会議主催のシンポジウムや講演会は、だれでも傍聴可能で、まず間違いなく知的刺激を受けることができる絶好の機会ではないか。ろくに本など読まない編集者のような不勉強な人間にとってはとりわけ…。冒頭のような思いをこの日もあらためて抱いた、というわけだ。

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