寺島実郎氏についてはテレビやラジオでその見識に触れ、そのたびに感服していたが、8日、日本学術会議などが主催するシンポジウムで、初めてまとまった講演を聞き、あらためてその世界を見る目の広さと深さに驚嘆した。講演内容の一部は、当サイトのハイライト「IT革命がもたらした経済の3層構造」で、紹介している。
日本社会の中で、非正規雇用者の数が増大し、年金制度の破綻その他、深刻な問題につながりつつあることに不安を抱く人々は多いのではないだろうか。しかし、こうした日本社会の変貌は、日本企業の経営倫理や日本人一般の心構えの変化にのみ期すことができるような生やさしい問題ではない。氏の講演を必死でメモしながら、何度もため息をつきたくなるような思いに陥った。
20年近く前、米ワシントンのスミソニアン博物館で買い物をして、レジの女性ににらまれ、どぎまぎしたことを思い出す。ドル紙幣に続いて、端数部分を、小銭の硬貨で後から出した時の彼女の顔つきが忘れられない。「何でそんな面倒なことをするのか」。実に冷ややかな対応で、無論、わが行為は無視された。
1000円札と、5円玉や1円玉を一緒に出しても日本だったらレジの人間はたちどころに足し算、引き算をしておつりを返す。こちらも小銭で膨らんだ財布をわずかながらすっきりできる。しかし、米国ではこれは常識ではない、と気づき、自分の勝手さを大いに反省したというわけだ。
欧米人は、おつりを計算するとき引き算をするのではなく足し算をする、という話を聞いたことがある人はいないだろうか。例えば8ドル25セントの買い物をしたとする。売り子は、まず25セント硬貨を1枚ずつ出しながら「8ドル50セント、75セント、9ドル」と声に出し、最後に1ドル紙幣を出して「10ドル」。これで間違いなくおつりを返しましたよ、となるというものだ。実際に、このような経験を欧米でしたことがある人がどのくらいいるのか知らないが、欧米人の大半がこうしたおつりの出し方しかできないということはないだろう。ただし、日本人だったら苦もなく対応する、前述のような紙幣と硬貨を出されたときに即座におつりを計算することは、多くの店員には無理かも。スミソニアン博物館での経験から、そんな気もする。
さて、寺島氏の講演でショックを受けたことのひとつが、バーコードの発明で、すでにレジ係の労働形態が相当、単純化しているのが、ITの進歩で、その単純労働職そのものがいずれなくなってしまう、という指摘だった。これからは、IT革命による労働の平準化がさらに進み、松坂大輔投手のような「余人を持って代えられない人」と、だれでもできる仕事にしかつけないその他大半の人々という2極化がさらに顕著になる。その上、その大半の人々の職場も狭められてしまうというわけだ。
いまさら労働をとめどもなく単純化、平準化していった米国のまねなどやめよう、などといっても始まらない。とにかくIT革命で経験、ノウハウを要する仕事がどんどん限られたものになっていく、という寺島氏の指摘は多分、その通りだろう。となれば、これからの社会において、余人を持って代えがたい一握りの人の中に入れなかった大多数の人々は何に生き甲斐と、収入源を求めればいいか。一生懸命考えなければならないということだろう。