レビュー

編集だよりー 2007年12月27日編集だより

2007.12.27

小岩井忠道

 ベートーベンの交響曲第9番が、暮れになるとなぜこうも日本では数多く演奏されるのか?こんな記事がことしも毎日新聞27日夕刊1面(東京版)に載っていた。いろいろ理由が挙げられていたが、一番分かりやすかったのは「合唱付きだからチケットがさばきやすい」というものだった。

 指揮者、オーケストラ、ソロを受け持つ歌手は、客を呼べるプロ。だが、合唱はアマチュアが担うスタイルが主流になっている、と書いてあった。「暮れに第9を歌うので、毎日その練習で…」。そういえば、身近な人間がうれしそうに話すのを聴いたことが一度ならずある。これら大勢の合唱団メンバーが、演奏会のチケットも一生懸命売ってくれるなら、こんないいことはない。

 その第9を、サイエンスポータルの編集アドバイザーでもある旧友、軍司達男氏(NHKエデュケーショナル社長)の招待で一緒に鑑賞した。この大曲を生で聴いたのは最近、覚えがない。オーケストラはNHK交響楽団だった。合唱は国立音楽大学の学生だったが、チケットを売りさばくどころか、むしろ家族や友人のために何枚かほしいと思っても手に入れるのが難しかったのではないだろうか。会場は満員だった。

 トランペットとフルート以外の管楽器の音でも、何とか聴き分けられるようになったか? その程度の耳しかもたない人間だから、この夜の演奏もすばらしかった、という以上の感想はない。指揮者、4人のソリストとも初めて聞く名前だった。

 「バリトンがとりわけすばらしい」。数日前に同じ演奏を聴いた耳の肥えた知人は、そんな感想を述べていたそうだが、編集者は、角田祐子というソプラノに目が行った。他のソリスト3人がそろって大柄なうえに胸を張って歌うから、小柄さが目立つ。しかし、やや前かがみで歌う姿が、聴衆に挑みかかるようにも見えて、何とも感じがよい。この歌手は、ひょっとするとスポーツをやらせてもうまいのではないだろうか。例えばバスケットボールのポイントガード(積極性と俊敏さを求められるポジションで、司令塔とも呼ばれる)などをやらせたら、などとまた余計なことを考えた。

 帰宅してから、何十年も前に第9を聴いた時のことが突然、思い浮かんだ。どこでどのオーケストラだったか、思い出せない。第4楽章まで出番がないソリストは4人しかいないのだから、途中で出てくればいいとして、大勢の合唱団はどの時点から舞台に並ばせるのが通例なのだろうか。突然、思い出したというのは、舞台奥に整列していた合唱団の女性の何人かが、合唱の場面が来る前に視界から消えてしまった光景だ。最初から舞台上に整列させられていたため、途中で気分が悪くなって、その場でうずくまってしまったとしか考えられなかった。

 この夜のソリストは第3楽章の前に姿を現したが、合唱団は最初からの登場だった。しかし、倒れた人はいない。出番が来るまで用意された長いすに座っていたためだろう。さらに、温度の影響はないだろうか。昔、歌う前に舞台上でうずくまってしまった女性たちは、おそらく照明の熱が一番こたえたのではないかと思われるからだ。

 この数十年の照明技術の進歩によって、演奏会の舞台上は、どの程度、“環境改善”が図られたのだろうか。あるいは、照明技術の進歩などはあまり関係がなく、問われているのは単に合唱団員の体力でしかない、ということだろうか。

ページトップへ