レビュー

編集だよりー 2007年12月11日編集だより

2007.12.11

小岩井忠道

 博品館劇場で林家たい平の独演会を聴いた。会場に入ってすぐに客席を眺め回す。ちょっと前、同じ会場で聴いた別の落語家の独演会を思い起こしてのことだ。客席から笑い声が起きても意味がさっぱり分からない。ある宗教団体の名前を言った時に起きたけたたましい笑い声が、次に同じ団体名が出た時にも繰り返されたので、ようやく気づいた。固定ファンとこの落語家だけに通じる符丁のようなものがあり、前後の脈絡などあまり関係なく笑っているのだ、と。

 この日は若い人の姿も見えたが、落ち着いた感じの年配客が多い。ひとまずホッとする。

 林家たい平は、一度、別のホールで聴いたことがある。まだ笑点のレギュラーメンバーになる前で、初めてだったが、実力派という印象を持ったことを思い出す。その上、この日の最後の演目は「芝浜」だ。数年前、NHKの「日本の話芸」で確か三遊亭円楽が演じていたし、数えるほどしか経験のない歌舞伎でも見たことがある。最後のオチの意味が分からず首をひねってばかりの人間にとって、これほど条件がそろった落語鑑賞はめったにない。

 期待通り、十分に堪能して会場を後にする。一緒に行った高校の後輩も「なかなか聴かせた」という感想を述べていたが、すぐに「桂文楽は、かみさんをもっと激しく演じていた」と言い出した。芝の浜で大金を拾って大喜びし、酒を飲んで寝入ってしまっただんなが起きてみたら「とんだ夢を見たんだよ」と、かみさんにだまされる場面だ。

 桂文楽の演じたかみさんは、亭主を手ひどく、かつしつこくなじっていたのに比べると、たい平はあっさりしていた、というのである。ウーム、確かにあの場面は「アホ!」「バカ!」というくらいの激しさで亭主をののしる演じ方もあるかもしれない。「あんたをだましたのは、かくかくの理由があってのこと」と、かみさんが泣いて謝る最後のハッピーエンドもより生きてくるかもしれないから…。

 会場近くのなじみの店に着いてからも、あーだこーだと続けていたら、鍵の手になったカウンターのはす向かいに座っていた先客が、話に参入してきた。先方の方が、どうもはるかに落語に詳しい。言葉に気をつけながら相づちを打っていたら、帰り際に一冊の本までいただいてしまった。

 「禁演落語」(小島貞二編著、ちくま文庫)という本だった。太平洋戦争に突入する直前の昭和16(1941)年、世情に合わないからと落語家たちが自主規制し、53もの落語を封印してしまう。浅草の本法寺というところに「はなし塚」という“墓”までつくった、という話が書いてある。帰宅後、53もの演目の一つになっていた編集者の好きな「紙入れ」の最後の個所を読んであらためて笑ってしまった。芝浜のかみさんより、こちらのかみさんの方が1枚も2枚も亭主より上手だ。とことんかみさんにだまされた亭主の最後の言葉が、オチになっている。

 「いやだよ新さん。旦那さまの留守に若い男でも引き入れて楽しもうというおかみさんじゃないか。如才なく紙入れなんかちゃんとしまってありますよ、ねえ旦那」

 「うんそうとも、主人が紙入れを見たからって、どうせ女をとられるくらいの奴だからそこまでは気がつくめえ」

 日本の長い歴史で、男の方が女よりしっかりしていたなどという時代があったのだろうか。落語を聴くといつも考えてしまう。

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