博士号は取ったのに働く場がない。こうしたポスドク受難の現実については、このところ新聞でも何度か取り上げられているが、4日の東京新聞朝刊「特報面」の記事「博士号“難民”1万2000人の嘆き」にあらためて驚く。
「大学の非常勤講師のほかにコンビニなどでアルバイトをして生活費15万円を稼いでいる」(33歳の女性博士)。「出身大学で非常勤講師もしたが、これだけでは月々の収入はわずか1万円。このため私立大学や高校の非常勤を5つも6つも兼務し、それでも足りず、学生時代は客として行っていた居酒屋で店員、さらには模擬試験作成のバイトもこなし、ようやく月収は十数万円に」(最近ようやく国立大学准教授の職を得た41歳の男性博士)。
こうした現実を招いた背景として記事が指摘しているのが、1991年に文部省(当時)の打ち出した大学院の強化充実策である。「1985年当時には約7万人だった大学院生が、たった20年余りで約26万人まで増え、少子化による大学・短大進学者の減少を吸収してしまった」という。
記事は「高学歴ワーキングプア」(光文社新書)の著者であり、自身、博士号を持ちながら1年契約の大学研究員という不安定な立場にある水口昭道氏(40歳)の言葉を数多く引用している。
「優秀だった友人の女性は、ある日突然、研究室に現れなくなりました。どこで何をしているのか、担当教員も分からない」。こんな寒々しい話にまじって、「野良博士」という言葉が出てくる。このような博士号を持つ無職者たちを、水口氏が自嘲を込めて呼ぶ言葉だ。
このくだりを読んで、30年ほど前に米国立衛生研究所(NIH)で研究生活を経験したという女性研究者から昔聞いた話を思い出した。米国には研究条件のよさに引かれて世界中の研究者が集まる。NIHはその中でも有数の研究機関で、当時から多くの日本人研究者が研究生活を送っていた。しかし、研究室長など正規のポストについている研究者は数えるほどで、さらにこの女性研究者のように一定期間、研究すれば日本に戻る職場の当てがある研究者も限られている。多くは日本に帰国しようにもポストがないという人たちだった(多分、これは現在でも変わっていないのではないだろうか)。
衝撃を受けたのは、その女性研究者から、抜き身のような言葉が出てきたからだ。「NIHの日本人研究者たちは、ワシントンでは“NIHこじき”と言われていた」という。水口氏の「野良博士」のように、自分たちを自嘲していう言葉としてNIHの日本人研究者の間だけで通用していただけかもしれない。が、とにかくワシントン近辺の日本人社会の中で、NIHの研究者たちの経済状況が最も低いランクにあった現実を反映していたことは多分間違いないだろう。
ポスドク問題は、国内より一足先に海外で顕在化していたということだろうか。それにしても、である。
科学リテラシーを向上しないと日本の将来は危うい。しかし、数学や理科をきちんと教える能力を持つ小中学校の先生は恐ろしく少ないらしい。一方、博士号を持ちながらその能力を活かす場がなく劣悪な生活を強いられている人が数多くいる。
この三重苦をなんとか打開する手はないものだろうか。