郷里で開かれた高校の同窓会総会に出てきた。世話になった郷里の先輩や後輩たちにも会えるし、東京地区の同窓会役員としては、こういう場にはきちんと顔を出しておくのが後々のためでもある。参勤交代のようなものだ。
遠路訪ねてきた20歳そこそこの吉田松陰を、当時既に70歳近かった水戸学の大家、会沢正志斎が毎晩自宅に招き酒を酌み交わした、という土地柄である。パーティが終わってもすぐ帰京とはさせてくれない。東京から参加した先輩(東京地区の前会長、同窓会本部の副会長を兼ねている)ともども、地元で手広く事業を営む大先輩に水戸の繁華街に連れて行かれる。
昔に比べると水戸−東京間は、大変便利になった。だいぶ飲んだ後、東京組の2人だけ先に失礼し、特急の中で引き続き一杯やりながら上野に着いたらまだ10時前である。「新宿でも行くか」となった。
先輩なじみの店に着くと、介護サービスを仕事にする女性がいた。重労働なのでガードルとTバックを身につけていないと仕事にならないという。Tバックなるものの説明を何度聞いてもイメージが浮かばない。先方もついにあきらめ、介護そのものの話になった。
介護ということで昔、記者時代に先輩から聞いた話を思い出す。当時、医学界で知らない人はいない重鎮が、夫人ともども痴呆症状となり、人間の尊厳などまるで感じられないような悲惨な晩年を送っているという話である。
「夫婦のどちらかが痴呆になって、2人だけで特別養護ホームなどに入ると、よく起こるケース。正常な方が、敢然として同居を避けた方がいいのだけれど」
その女性は言うが、現実にはどちらの選択も難しいのではないか。盲目の女性を愛するあまり、自分も目を突いて、同じ境遇になったなんて小説もあるようだが…。そんな話をひとしきりした後、自宅に帰り着き、床についたら突然、30数年前、哲学者の田中美知太郎・京都大学教授(当時)に聞いた言葉を思い出した。
文化功労者に選ばれた時に、ご自宅を訪ねインタビューした際、型どおり最後に「これからどういう研究を」と尋ねたときの答えだった。研究内容は完全に忘れ、最後ににこりともせず付け加えられた言葉だけが記憶に残っているのだ。
「もっとも頭が正常である限りは、という前提だが。きちんと考えられなくなったら、そのこと自体、自分ではもはや分からないわけだから」
がんその他の難病の治療法につながる研究も大事だが、日本でこれからより重要になるのは、痴呆に対する治療法あるいは対策ではないか。何やらしみじみ考えた。