30年以上前になるが醸造試験所(現・独立行政法人酒類総合研究所)の所長に面白い方がいた。「サルも酒を造っていたことを立証しようとしている」。最初にお会いしたときにそんな話が出た。もしめでたく論文にでもなったら面白い記事になる、と所長室に何度か通ったものだ。
結局、決定的な証拠をつかむまでには至らなかったようで、編集者が狙った“B級特ダネ”もまぼろしとなったが、日本酒談義がまた面白かった。当時、盛んに宣伝されていた日本を代表する酒造メーカーの有名銘柄を挙げ、「あれが日本酒を悪くした」と批判する。右へならへで戦後、日本酒が皆、甘口になってしまった、というのである。「日本酒というのは辛口がよい。古くなるとまずくなるというのも、とんだ誤解だ」と、所長室の机の後ろのもの入れ棚から瓶を取り出して、勧められた。色も琥珀色をしており見慣れた日本酒とは違う。奥深い味と言われればそんな気もする、と思ったものだ。
後年、日本食品標準成分表が何年かぶりで改訂される、という記事を書く機会があった。食品標準成分表というのはさまざまな食品の成分を表にしたもので栄養士などには必携の書らしい。しかし、今と違って普通の人間は、栄養のバランスよりとにかくうまいものをたくさん食べられれば幸せ、という時代である。脂肪やビタミンがどのくらい含まれようが、普通の人はあまり関心がないわけだから、漫然と書いたらほとんどの人は読まない記事にしかならない。なんとかならんものか。しばし成分表を眺め回していたら、わずかな違いとはいえ、炭水化物の含有率が、前の調査時に比べ増えている食品が結構あることに気づいた。日本酒も同様である。
そこで醸造試験所長の嘆きを思い出したというわけである。「日本酒も軒並み甘口になってしまった」という。
「日本酒をはじめ食品の甘口化進む」という記事に仕立てたところ、新聞に大きく載り、逆に心配になった。記事には少々無理なところがあったからだ。炭水化物の含有量増加を甘口化に結びつけてしまったのだが、これが本当に正しかったのかどうか実は今でも確信がない。
こんな古い話を思い出したのは、サステイナビリティ学連携研究機構から送られてきたばかりの季刊誌「サステナ」5号に、面白いエッセイが載っていたからだ。筆者は、戸高恵美子・千葉大学助教である。
「茄子のへたを切って、その切った面を魚の目(編集者注:本物のさかなの目ではなく、人間の手足にできるウオノメ)にこすりつけ、土に埋めると、その茄子が腐った頃に魚の目が治る」。そんな祖母の教えを聞いたおかげで、弟の魚の目はもちろん、戸高さん自身の顔にできたイボを何度も治すことができたというのである。
ところが最近、これが効かなくなってしまったというのだ。その原因は何か? 最近の市販されているナスには、魚の目やイボをやっつけるアクが含まれていないから、というのが戸高さんの結論であった。
そういえば昔眺め回した食品標準成分表では、同じ野菜でも露地物と広く出回っている商品に明らかな違いが見られ、露地物以外の野菜は軒並み水っぽくなっているという数字が出ていた。市販されている今の野菜はさらに水ばかりでできているのだろう。イボにももはや何の効果もないくらいに。