レビュー

編集だよりー 2007年10月1日編集だより

2007.10.01

小岩井忠道

 1987年にノーベル医学・生理学賞を受賞した利根川進氏は、受賞を伝える電話に対し、まず単独受賞か否かを尋ねた、という話を聞いたことがある。氏に確かめたことはないが、事実では、という気がする。

 一般の日本人にとっては、ノーベル賞を日本人が受賞すること自体が大変な出来事で、単独の受賞か、同時に受賞した人がいるかなど、ほとんど関心外のことと思われる。しかし、受賞者から見ると、別のようだ。そういえば、利根川氏が受賞した際、既にノーベル化学賞を受賞していた福井謙一氏が「単独受賞であるのがとりわけすばらしい」と讃えていたのを思い出す。利根川氏の後、自然科学分野のノーベル賞を単独で受賞した日本人はいない。

 ノーベル賞授章発表の時期が近づいてきた。1日付で科学技術振興機構の理事長に就任した北澤宏一氏が文部科学省で行った記者会見での、興味深いやりとりを紹介したい。

 「日本人がノーベル賞をもらうのは、西欧(欧米)人がもらったときに付け足しで…」と、北澤氏が語っている。日本人受賞者たちの業績がそれほどでも、などという意味では無論ない。「業績がよい上に、ラッキー(幸運)がある」場合でないと、日本人が受賞するのは難しいという意味である。「向こう(欧米)の人がもらうためには、(同等以上の業績を挙げている)日本人も入れないわけにはいかない」というケースが多いということのようだ。さらに「同じ実力なら彼ら(欧米人)がもらう」とも。

 ノーベル賞の受賞者が欧米人に有利になっている、という指摘は今に始まった話ではないようだが、日本を含めアジアからの受賞者が、極端に少ないのは歴然としている。福井謙一氏が受賞したとき、日本国内では受賞を予想する声はほとんどなかった。政府も福井氏に対する文化功労者の内定を急きょ変更、文化功労者より格が高い文化勲章を授章したことはよく知られている。福井氏は、国内よりむしろ海外で名が売れていたということだ。日本人が単独でノーベル賞を受賞することの大変さもまた、よく分かっていたのだろう。

 東京大学の教授時代、高温超電導研究で世界の最先端を走っていた北澤氏は、自身がノーベルシンポジウムに出席したときのことにも触れていた。既にノーベル賞を受賞していた人も含めて70人ほどの参加者のうち、日本人は北澤氏ひとりだけ。アジア人は中国人が2人、インド人が2〜3人しかいなかった。こういうサロン的な雰囲気の中で、次のノーベル賞はだれか、といったことがささやかれる。こうしたノーベル賞コミュニティのようなものがあり、日本や中国などはなかなか入り込めない。そんな現実があることを紹介していた。

 自然科学分野のノーベル賞を決めるのは、スウェーデン科学アカデミー(物理学賞、化学賞)と、同じくスウェーデンのカロリンスカ研究所(医学・生理学賞)だが、選考には段階があり、これら2つの選考機関から委嘱された研究者が、授賞にふさわしい人間を推薦する過程を踏む。過去の受賞者は、自動的にこの推薦を委嘱され、さらに例えば全米科学アカデミー会員は全員が“推薦権”を持つらしい。日本学術会議会員のうち何人が、あるいはノーベル賞受賞者以外の日本人研究者の何人がこの推薦権を持っているのだろうか。推薦人の数の違い一つを推察するだけでも、日本人研究者が受賞することの大変さが、分かるような気がする。

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