レビュー

編集だよりー 2007年9月17日編集だより

2007.09.17

小岩井忠道

 「遠野、三陸、盛岡と回ってこないか」という弟に付き合って15日からの3日間、岩手県を旅してきた。こういう誘いを断っていると、そのうちだれからも声をかけてもらえなくなる。そんな寂しい老後はごめんだし…。おかげで3日間、これで数週間はぜいたくをしなくても、と思われるようなごちそうに朝晩ありつくことができた。

 遠野の駅前で自転車を借り、20分ほど走ると、有名な民話の舞台とされる河童が出た淵に着く。町中にある「とおの昔話村」で買った柳田国男の「遠野物語」で読む限り、この話は短くてあっさりしたものだが、翌日、語り部と呼ばれている地元の女性の語りを聴くと、だいぶ詳しくなっている。馬を淵に引きずり込もうとした河童が逆に人間に捕らえられ、殺されるところを許された、では終わらない。その後、近くの寺が火事になった時、恩返ししたとなっている。頭の皿の水を使って火を消した、というのだが、面白さはもう一つという感じだ。

 「遠野物語」には河童が出てくる話はこれ以外、いくつかあり、編集者にとっては別の話の方がよほど刺激的である。「松崎村の川端の家にて、二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり。生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。…」。「上郷村の何某の家にても河童らしき物の子を産みたることあり。…身内まっ赤にして口大きく、まことにいやな子なり。忌まわしければ棄てんとて…、ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になる…」など。

 前者の話の結びは「この娘の母もまたかつて河童の子を産みしことありといふ。二代や三代の因縁にはあらずと言ふ者もあり。この家も如法の豪家にて何の某という士族なり。村会議員もしたることもあり」と、急にリアルになる。

 遠野の河童というのは、顔も身内もまっ赤ということだ。河童に擬せられた動物がいたとしたら、何だろうか。何かの都合で町外れに住み着いた欧米人だなんてことは、いくらなんでもないだろうが。

 遠野に着いた日は丁度、年に一度という「遠野まつり」の最終日で、河童の淵に行く途中、いくつもの行列とすれ違った。衣装が安物に見えない。ホテルに戻るとその町内の行列が玄関前に勢揃いしたところだった。40人近い少女たちが披露する踊りを見る。指導者らしい人に尋ねると「衣装はそれぞれ個人持ち」とのこと。遠野の市民は裕福なのだと感心した。昔から生活に余裕があった人が多いので、現実にありそうもない話をいろいろ思いついたのだろうか。人から人に伝わるうちに、さらに話が多様になり、より面白く、あるいは恐ろしくなっていったというように。

 「遠野物語」については、田山花袋、島崎藤村、泉鏡花、折口信夫といった高名な文人がいち早く大きな関心を示した、と大藤時彦氏の解説にある。編集者も会ったことがある今西錦司氏や桑原武夫氏といった著名な研究者にも大きな影響を与えた、という鶴見太郎氏の解説にさらに驚く。現実にありそうなできごとかいなか、という非常に狭い見方に陥ってしまう編集者のような読者には、この本の奥深さを理解するのは、やはり無理ということだろう。(「遠野物語」からの引用は、角川ソフィア文庫「新版遠野物語 付・遠野物語拾遺」から)

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