「何をやっても外国のまねばかり」。ある時期、研究者としてスランプに陥ったことがあるという掘越弘毅氏の講演(26日ハイライト「異なる文化認めるところから新たな世界が」参照)を聴いた足で、五反田のキャッツ・シアターに行き、ミュージカル「キャッツ」を観た(25日)。2回目である。
俳優たちのダンスのうまさに、あらためて感服した。皆、相当ハードな練習を積んでいるのだろうと想像する。基本的な話の筋はともかくとして、何でここにこういう場面が出てくるのか、細部になると筋の運びは今回も分からないことが多い。まあ、これは日本語の歌詞をよく聞き取れなかった自分の責任としよう。そもそも英国生まれ、米国で大ヒットした作品だ。ぴんと来ないところがあるのは、当然だろうし。それより劇になりそうもないような話をミュージカル作品に仕上げ、大量の人間を喜ばせている台本・作曲者の創造力に素直に驚き、賞賛すべきなのだろう。
気になったのは、声である。「実際に歌っているのだろうけれど、マイク使っているよね」。観劇後、チケットを回してくれた友人、その元同僚と一杯やりながら聞いてみた。「当たり前でしょう。オペラを聴くつもりでミュージカルを観ては駄目。宝塚出身に、本当に歌のうまい人いないのと同じ」
耳の肥えた女性の言葉は冷静だ。いつもは厳しいことをいう友人の方が「マイクを通してもうまい人の声はやはりいいわよ」と寛容なところを見せていたのがおかしかった。
しかし、最初に観たときは全く気にならなかった声が不満だったというのは、編集者も少しは耳がよくなった、ということなのだろうか。オペラを何度か聴いているうちに、マイクを通さない声と、通した声が聴き分けられるほどに。
それとも、単に自分の聴力がますます衰えたせいだろうか。飲み過ぎと睡眠不足で突発性難聴になり、片方の耳が全く聞こえなくなってしまってから、もう10数年になる。その後、どうも残るもう一方の耳も危なっかしくなっているようだし。